谷の風がいつになく騒めいてる。
婆んちの扉を出てすぐ、そう感じた。
いつもなら谷底を流れる大河とともに緩やかに吹きすぎていく風が、東西に聳える岩壁に阻まれて、まるで逃げ惑う小動物のような動きでめちゃくちゃに入り乱れている。
「……おいおいおい……! 何だってんだよ、これはっ!」
いや、乱れてるのは風だけじゃなかった。
俺にはアルファードのような要素を視る力はないが、その状態を感覚的に把握することならできる。俺たちが戻ろうとしている底辺台地の一帯で、火・水・土……さまざまな要素が飛び交いながら、加速、圧縮、拡散と目まぐるしい状態変化をくりかえしていた。
日ごろ対峙する魔物との戦いでもむろん魔法は使われるが、その用途のほとんどは武器の強化や向かってくる魔物への牽制や攻撃だ。こんな要素と要素がぶつかり合うような派手なことにはならない。これは明らかに術師同士の戦闘だろう。
おおかた東の村の連中が、侵入者たちと口論のすえにブチ切れたってとこだろうが、よりによって台地のド真ん中でおっぱじめるとか! 何考えてんだ、バカ野郎どもがっ!
「まずいよカイエ、このままじゃ役場が!」
「ああ、分かってる!」
言ってるそばからボワッ!と、広場の端で派手な火柱が立ち昇るのがみえた。それに混じってキンキンキンッ!と連続した剣戟も聞こえてくる。
戦いの場になってたのは、底辺台地の南側にある広場と北側にある修練場とのあいだを繋ぐ道沿いの一角だ。 道の横でデッカイ松明みたいになって燃えてる樹が、さっき火柱が上がったところだろうか?
バチバチと音を立てて火の粉を散らすその樹と、役場の壁のあいだで、女の子を背に庇いながら応戦していたのは銀髪の男だった。
彼がヒューラント族なら、歳はおそらく20代半ばだろう。
引き締まった逞しい体に鈍色の鎧をまとい、大ぶりの片手剣を握っている。そこそこ精悍な顔立ちだが、髪と同じ銀色をした頬髯がそこに野性味を付けくわえてるって印象だ。
庇われてる女の子のほうはたぶん俺らと同い年くらい。
赤みを帯びた金髪と赤い瞳をしたなかなかの美少女だ。白いシャツに左胸を覆う革鎧を装着し、小ぶりの弓を背負った狩人のような格好をしている。
女の子のほうは壁と背の間でただ縮こまってるだけだったが、庇って戦う男の剣技には、数秒見ただけで言葉を失いそうなほど圧倒された。
攻撃を加えているのは東の村の男たち数人。彼らが空中へ翻りながら入れ替わり立ち替わり剣を交えてるのに対し、銀髪の男は両足で地面を踏みしめたまま、単身ですべての攻撃を撥ね退けている。しかもそこからほとんど移動していないときた。あれじゃまるで新米剣士を軽くあしらう教官じゃないか。いったいどんな反射神経してたら、あんな未来が見えてるようなタイミングで剣を繰りだせるんだ!?
だが、一瞬固まった俺の意識は、すぐさま別の光景へと吸い寄せられた。
そっちでは湾曲した片刃の短剣を握る男が、肩先で切り揃えられた栗色の髪の女を庇いながら戦っていた。こちらは銀髪の男とは対照的に、小柄な体躯を生かして縦横無尽に動き回る戦法のようだ。庇われてる女のほうもただ棒立ちになってるわけじゃなく、障壁のようなものを張って必死で魔法攻撃を防いでいる。
俺の気を引いたのは槍を構えて突進する男の姿だった。
建物横の木立ちから走りだした東の村の男のひとりが、短剣で戦う男の死角をねらって、後ろの女の腹をめがけて槍を突き刺そうとしてたんだ。
「やめろっ!!」
叫びと共に、槍を持つ男のいるほうへ片手を振りきった。
ゴォウッ!と烈しい音を立てて吹いた風が、それを握る男ごと、槍を天高くへと舞いあげる。
宙でくるくると回転しながら「うぉおっ!?」と驚愕する男は無視して、俺はすぐさま、別の風魔法を展開した。
すると突然、広場の周辺にいた全員が、ビタッ!と動きを止めた。
「はぁ~~~~~……よ、良かったぁ」
浮かんだままそれを見ていたモニカが、溜息とともに呟いた。
よほど気を揉んでいたのか、その目尻には薄っすらと涙が浮かんでいる。
「この人数を、いっぺんに止められるのって、カイエだけなんだもん。間に合って良かったよぉ……」
「なぁモニカ。事前にあった親父の指示どおり役場に連れてきたってことは、侵入者たちは一旦は大人しく従ったんだよな? なのに、何でこんなことになったんだ?」
「あ、えっとねぇ、最初に見つけたのはあたしだったんだけどぉ。あの金色の髪の女の子がモルドさんたちを怒らせちゃってぇ」
「え、どうしてだい?」
ウィリオも怪訝そうに首を傾げる。
モニカが掻い摘んで話した内容によれば、この騒動の経緯はこうだ。
まず、もともとモニカは、10日前の村長会議のあと(もし新たな侵入者がきたら? またカイエが責められるようなことになったら?)という不安に駆られて、ちょくちょく五段棚の上の窪を見ていたらしい。それで下を覗き込んでいる侵入者たちに気づけたわけだが、対応した東の住人たちに運ばれて台地に降り立ったところで、谷の民を見ていた女の子が、
『へぇ~~。侍従たちが、谷底に住むのは知能の低い汚れた蛮族だ……とか貶してたから、もっと小鬼みたいな気持ち悪い感じの人たちを想像してたけど、意外に普通じゃない? そのうえ空まで飛べるなんて、思ってもみなかったわ』
などと、無邪気な口調で仲間の男に言ったのだそうだ。
「…………ああ。そりゃ、おっさんたちはキレるわ」
「…………だね」
外界の人間が俺らを「蛮族」と呼んでるのは知ってる。
何しろ魔物が跋扈する大森林の奥にある谷底だ。実情を知らない連中からすれば、そこに住む人間が得体のしれない化物のように思えても、まぁ仕方ないのかもしれないが。
アルファードの来訪以来、俺にまで八つ当たりの感情をぶつけてくるほど、一族の不満や敵愾心は高まってたんだ。それを煽るようなことを言えばブチ切れるに決まってる。
少なくとも、彼らにとって敵地と思われる場所に乗り込んできたお姫さまが口にしていいセリフじゃあ……ねぇわな。
胸の奥でふつふつと湧き上がってくる怒りを宥めながら、広場へと降り立った。
まずは、燃えてた樹に水を飛ばして消火する。
それから周囲を見わたすと、役場前の広場はまるで戦いの様子を象った彫像を並べたみたいなことになっていた。剣で切りかる者、駆け寄ろうとする者、遠くで助けを呼ぼうとしてた者、それらすべてが、今まさに動き出そうとする姿勢のまま静止している。
もちろん侵入者らしき男たちも同様だ。
とくにバッチリ目が合った銀髪の男は、上から打ち込まれた剣を右へ受け流そうとしたらしい恰好のまま、唖然とした表情でこっちを見ていた。
数秒考えてから、とりあえず銀髪の男のもとへと歩み寄る。
「あ~~~~っと、悪いんだが……これ以上は戦わないと約束してくれるか? 同意するなら2度ほど瞬きしてくれ」
ガリガリと頭を搔きながら問い掛けると、銀髪の男はすぐ、痛みでも堪えるような大げさな仕草でギュッと目を2回閉じてみせた。
分かり易くしたつもりなんかな? 意外とノリいいな。
「おっさんたちもだぞ? これ以上やろうとするんなら、容赦なく吹っ飛ばすから」
これは戦闘に加わってた東の村の男たちへ向けた言葉。皆、ギギギギ……って音がしそうな感じに首を動かして、それぞれに小さく頷いた。
「ん。じゃ、解除っと」
パチッと指を鳴らして拘束を解く。
途端に、キン!ギィイッ! ドサッ、ドサドサッ!と、ほうぼうで音がした。皆、勢い余ってつんのめったり、地面をゴロゴロ転がったりと忙しい。
真っ先に立ちあがったのは銀髪の男だ。剣を鞘に納めてすぐ後ろを振り返り、気が抜けたようにへたり込んでた女の子の肩をつかんで揺さぶった。
「おい姫さん、大丈夫か? さっき剣がかすっただろっ!?」
「あ、う、うん。平気……だけど……」
「―――なぁ、あんた」
「きゃあぁっ!!」
真横に屈み込んで前置きなしで話し掛けた俺に、朱金の髪を振り乱しバンザイするみたいなポーズで仰け反った女の子。「な……な……な……」と狼狽える彼女に立ちなおる暇は与えず、俺はすぐさま本題を切り込んだ。
「あんた、アリスって名だよな? イエヌスの第三王女の」
「えっ? ど、どうしてそれを?」
目をパチクリさせる彼女―――アリスに、親指で背後を示す。
「そこにいる、アルファード王子からきいた」
「……あっ……に、兄さま……!!」
アリスは慌てて立ち上がり、さっき降り立った場所で無表情に立ち尽くしていたアルファードのもとへ駆け寄ろうとした……が。
彼女は腰を浮かせた中途半端な姿勢で再び静止した。
「か、体が……動か……な」
「行かせねぇよ。まだ尋問は終わってない」
「っ、姫さんっ!」
銀髪の男が手を伸ばそうとしたが、それも止める。
さらに、離れた場所で座り込んでいた短剣の男と栗色の髪の女も、風の力で強引に目の前へと引き寄せた。「うわわわっ」「きゃあっ」と4人まとめて転がった彼らは全身土埃まみれになったが、ここは俺の怒りに免じて許してもらおう。
「さて」
腕組みをして立った俺は、改めて4人を見おろした。
「まず、王女さまの名前は分かってるとして……それ以外のひと、自己紹介してもらっていいかな?」
「あ、ああ」
片手で髪を搔きあげながら起き上がった銀髪の男が、青い目を瞬かせた。
「オレはフェガロ。フェガロ・ペトラ。イエヌス王国、近衛兵団所属の兵士で、第三王女アリスさま専属の護衛のひとりだ」
「おいらはカライス・ヴノっす。同じく、アリス嬢ちゃんの護衛っすよ」
2番目に名乗ったのは短剣で戦ってた奴だ。刈り込んだ灰色の髪に茶色のギョロ目、前歯が覗く口元。胡坐に組んだ足に両手を乗せた格好でヘラヘラと笑う。その表情がどことなくネズミを思わせる風貌の男だった。
そして最後に、片手を胸に添えながら丁寧に頭を下げたのは栗色の髪の女。
「はじめまして。わたくしは、王女殿下の侍女を務めさせて頂いております、ネフリティス・オリナと申します。以後、お見知りおきを」
ネフリティスと名乗った侍女だけ、俺はついガン見してしまった。
あ、いや、べつに、薄い赤銅色の肌に長身というウォーロップ族の女性の特徴を半分ほど備えた彼女が、超々巨乳の下にあるのは括れたウェストにデカイ尻という「砂時計かよっ!」と突っ込みたくなるような超絶ナイスプロポーションだったからとか! そういう理由ではなくてだな!(半分それもあるけどっ)
Vの字型に切り揃えられた前髪の下にあった瞳が、白に近い金色をしていたからだ。
「珍しいな。あんた、光の加護持ちか」
「はぁ。左様でございますが……」
光彩が白っぽいせいで、白目部分とも合わさってちょっと酷薄そうにみえる困惑顔。
「なんで分かったかって? その目の色を見りゃ分かるよ」
この世界のすべての人間は、瞳に加護を宿すと言われてる。
正確に言えば体内に張り巡らされた魔力回路を制御するための機関、なのだそうだが、ともかく各々が何の加護を持っているかは、だいたい瞳の色で判別できるんだ。
たとえば、黄緑の瞳を持つ俺やウィリオは風、オレンジ色の瞳をしたモニカは火、青い瞳をしたアルファードは水……といった具合にな。
たま~~に判別しづらい色味の目の奴もいるけど、白に近い色の瞳をした光の加護持ちは数百人に1人とかってレベルで珍しいそうだから、すぐわかる。
あ、ちなみに、加護が風だからって、火や水が使えないわけじゃないぞ? 単に加護のある属性が得意分野になるってだけで、どの属性だろうが訓練次第でそこそこ使える。瞳の色は茶色だけど光属性である治癒系の魔法に長けた、南の婆みたいに。
「んじゃ俺も、いちおう名乗っておくか」
いつのまにか背後に、わらわらと東の住民が集まってきていた。
首を左右へ傾けて彼らの姿を確認してから、地面に座り込む4人に向き直り、ニッコリ笑顔で一礼する。
「俺の名はカイエ。この東の村の村長の息子だ。じきに親父もすっ飛んでくると思うけど、いまこの瞬間はまぁ……村長代理ってとこだな。両隣にいるのは幼馴染みのウィリオとモニカ。後ろにいるその他大勢は、俺の大事な一族だ」
おいその他かよ、と突っ込みが入ったが、全員の名なんか呼んでられるかって。
「んで? お察しのとおり、谷の民はまったく歓迎してないんだが、あんたらは何しに桃源郷の谷へ侵入した? 返答次第では、俺はあんたらを処刑することになる。
言葉は選んで、慎重に……頼むぜ?」
「しょ、処刑って」
ヒクッと喉を鳴らしたアリスが呟いた。

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