おそらく、ケアが必要なのはSubだけじゃないのだろう。
目の前でこの世の終わりという顔をして黙り込む女性を眺めながら、裕司は思う。
この日、外来診療に訪れていたのはDomの彼女のほうだった。
名は宮内さやか。27歳の会社員。
アラサーの呼び声が気になるようなオトシゴロだが、顔は女子高生と間違えられても不思議はないほどの童顔だ。正直なところ、どこぞの清純派アイドルを髣髴とさせる見た目をした彼女がDom性であることのほうが不思議だった。
どうやら本人もそう思っているようで、世間に流通している威圧的で頑強なDomイメージとのギャップに長年悩まされていたらしい。
彼女には職場で知り合ったSubの恋人がいて、結婚を前提とした交際を続けている。
しかし定期的なプレイを行なっているにも関わらず、相手の男性はたびたび不安症状を引き起こしていて、自分も体調不良が解消できない。どうにかならないだろうか……というのが彼女の相談だったのだ。
まさかその直後に、病院内で暴走を起こすとは思わなかったが。
「お~い山峰、とりあえず女の子のほうは安定したからな~」
呑気な声に振り返ると、入口に立った同僚医師が覗き込むようにしていた。
胸のプレートに書かれた名は『鈴木』。モジャっとした癖のある髪が特徴の眼鏡男子だ。一浪した彼のほうが年上だが、同じ大学の同期であり研修医仲間でもある友人だった。
彼はちょいちょいと指を折ると、立ち上がって近づいた裕司にひそひそと耳打ちした。
「一緒にいた顧問が家へ送り届けるそうだ。あとは当事者のお2人だけだな」
「了解。任せてしまって済まないな」
「いいって。Domの暴走は俺たちNeutralじゃ止めらんねぇし。お前今日は、このあと帰るだけだろ? 引継ぎは俺らに任せて、そっちのケアを優先してくれ」
「そのつもりだよ」
ヒラっと手を振って遠ざかる鈴木医師の背を見送って、室内へ目を戻すと、顔をあげていたDom女性の宮内と目が合った。
「あ、あの山峰先生っ。本当に申し訳ありません! わ……わたしのせいで、帰り際の先生にまでご迷惑をお掛けしてしまったなんて……」
涙を浮かべて畏まる女性に、裕司は「いやいや」と片手を振って苦笑する。
「そこは気にしないでください。これがわたしの仕事ですからね」
「ですけどっ」
「そんなことよりも宮内さん。貴女はそちらのパートナーとの信頼回復のほうに尽力したほうが良いのではありませんか?」
「……あ……」
宮内は、裕司の視線を追ってそろりと背後を振り返った。
そこでしょんぼりと俯いていた男と目があってすぐにパッと前へと向き直る。
気まずそうに顔を歪めたところをみると、かなり根が深い拗れとなってしまっているらしい。
一方で、目を逸らされてしまった男のほうも、もともと不安症状を抱えていただけに、さらに絶望したような表情となってしまっていた。
女性と比べればふた回りほど体格差がありそうなこの男のほうがSubだとは。まるでラブコメの主人公たちのようだ。世の中は不思議なものだと裕司は嘆息する。
「その様子だと、あまり良好なパートナー関係は築けていないようですね」
「………………」
「診察の際に伺った話だけだと想像しきれていませんでしたが、パートナーの彼と見比べてみて何となく分かりましたよ。察するに、お2人とも互いのダイナミクスへの取り組み方に不満を覚えてらっしゃるようだ」
「え……えっと……その……」
宮内はチラと背後を窺うような仕草をした。彼がいると話しにくい内容らしい。
しかし裕司は「いえ」と首を振った。
「この場合、貴女の言い分だけをわたしに打ち明けるのではなく、彼にも聞いてもらって意見を訊ねるべきでしょう。厳しいようですが、そもそもその対話が足りていないから、ここまで拗れてしまったのではありませんか?」
「……っ」
「ちょうどよい機会かもしれません。わたしもお手伝いしますので、この際ですからきちんとお互いの不満を解消してしまいましょう。ね?」
「……は……はい」
「ここでは落ち着いて話せませんし、まずは場所を移しましょうか」
看護師を振り返った裕司は、外来の端にあるプレイルームへ向かうと告げる。電子カルテに手早く診療記録を打ち込んで画面を閉じ、不安そうな彼らに頷いて立ち上がった。
ところが、2人を連れて診察室を出たところで思わぬ事態に遭遇した。
「あ、山峰先生っ!」
すぐそばの長椅子からパッと立ち上がったのは制服姿の少女だった。
盗み聞きをしていたのか、傍らには申し訳なさそうな顔をした澄生もいる。
Dom女性の暴走への対応ですっかり忘れていたが、そういえばそもそもこの女子生徒が病院を訪れたのは裕司に告白する目的だったのだ。
「え~~~~~っと……」
裕司は少女の顔と背後の2人を見比べて困惑した。
目の前にはパートナーと、自分に告白をしようとしている少女。後ろには患者。
なんとも奇妙な三つ巴だ。
いちおう自分は少女の思惑を知らないことになっているので、ここは「気を付けてお帰り」と笑って通り過ぎるのが正解だとは思うのだが。
少女の側にしてみれば、せっかく訪ねてきたのに予期せぬ邪魔が入ってしまったわけだ。ここで告白の機会を逃せば遣りきれない不満を抱えることになる。
Sub性を持つ彼女にとっては少々酷というものだろうか?
(とはいえ、この子の告白を、おざなりに聞き流すわけにもいかないだろうし……)
だが、そんな気まずい状況を動かしたのは当の少女の爆弾発言だった。
「山峰先生、あたしも先生にお話があるんです! このまんまじゃ帰れないし、一緒に付いてっていいですか!?」
「「「え?」」」
看護師も含めた大人たち全員が唖然と少女を見下ろす。
一同が沈黙する中、真っ先に我に返ったのは普段から門田の突飛な言動に慣れている澄生だった。
「いやいや、門田さん、さすがにそれはダメだってっ! 患者さんのプライベートな事なんだから! もう陽も暮れるし、ここは後日改めて……」
「いやよっ!」
肩を掴んで引き寄せようとした澄生の手を振り払って、少女はDom女性を睨んだ。
睨まれた女性のほうがむしろ少女の剣幕にタジタジとなっている。
「だって、そのひとのせいで発作になっちゃったんでしょ? あたし被害者だもん! なんでそんなことになったのか、理由を聞く権利あると思う!」
「そ、それはそうだけど」
「それにその男のひとだって、2人のDomに睨まれてたら言いたいことも言えないじゃない。あたしと武田先生もSubなんだし、味方がいた方がちゃんと話し合いになるでしょ!?」
「……あ~~~~~~~……」
なかなか鋭い指摘だった。
本来ならば患者の診療に赤の他人を関わらせるのは問題なのだが。
確かに、すでに精神的に参ってしまっているSub男性にとって、片方が医者だとはいえDom2人を前にして不満を述べることが苦痛であるのは間違いない。Sub側の気持ちを代弁してくれる味方がいた方が話し易いだろうという主張は的を得ている。
どうしたものかと看護師と顔を見合わせたところで、硬い表情をしたDom女性が頷いた。
「わ、わたしは、構いません」
「え、宮内さん?」
「確かに事情をお伝えしないままじゃ申し訳ないですし。潤一も、わたしだけを相手にして喋るよりは……本音を言いやすいと思うので」
「う~~ん」
医者としては止めるべきなのだが、カウンセリング視点で考えると無意味だとも言えず、この奇妙な巡り合わせそのものに何やら運命を感じる。
おそらく真正面から切り出したところで、拗れてしまったカップルが本音を語り合うことは難しいだろう。ならばいっそグループカウンセリングにでも持ち込んで、湾曲的に問題解決を図るほうが得策だろうか?
なにも事情を赤裸々に明かさせずとも、雑談という体で語り合いながら、結果的に彼らの悩みが解消されればいいのだから。
そう思いながら流した視線の先で澄生の表情に目が留まった。
先ほどから平気そうな素振りはしているが、やはり不安をチラつかせている。
パートナーである自分としても、澄生を不安定な状態のまま、訳ありな少女のお守りをして帰宅させるわけにはいかない。
「分かりました」
裕司は、ふうっと溜息をついて肩をすくめた。
「じゃあ、今回は担当医のわたしが責任を預かるということで、許可しましょう。―――金澤さん、そういうことだからと局長に伝えておいてくれるかな?」
「は? え……あ、はいっ!?」
目を白黒させた看護師に苦笑して「こちらへ」と一同を促して歩き出した。

