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最近よく、LGBTQやジェンダーフリーについて考える

LGBTQについて

わたしはBL漫画が好きで、もともと同性愛について否定する感情は持ってない。
というか、個人的には『誰が誰と恋をしようが、個人の自由』だと思っている。

たとえば明日知り合った知人がゲイだろうが、バイだろうが、女性の心を持った男性だろうが構わないし、そんなことをいちいち訊ねもしないだろう。

それなのに、なぜいま、この話題を記事にしようと思ったのかといえば、下記の漫画を読んだからだ。

「息できないのは君のせい」というコミック

この物語の主役となるのは、「気持ち良ければ何でもいい」とのたまう快楽主義のサックス奏者・志筑順しづきじゅん。そして彼が「苦手な相手」だと思い込んでいたフルート奏者・矢野雪路やのゆきじ。2人はすでに4年の間セフレ関係を続けてきたのだが、とある切っ掛けでその関係性が変化し……。

とまぁ、市民吹奏楽団の面々や、志筑の元バンドメンバー、互いの職場の人々も巻き込んだ群像劇的なラブストーリーという感じ。

この話が巷のBLと少し違うのは、ガタイが良くてチャラい(と周りからは見られている)主人公の志筑のほうが、いわゆる受け(抱かれる側)であり、たまに女性と間違われることもある中性的な矢野が攻め(抱く側)であること。
BL作品の7~8割(わたしの感覚で)は、体格が良くて男らしい攻め×少し体格が劣る受け、という組み合わせが多いので、なんとなく目新しい印象がある。

もっとも、ゲイの方々は単純に個々の好みで役割(抱く側か抱かれる側かの)を選んでいるだけで、体格差で決めてるわけじゃないし、この描き方がむしろ自然なんでしょう。

あと、たいていのBLは女性向けポルノとして提供されている側面もあるので、SEXシーンが描かれるのが当たり前になっている中、この作品では前後の描写があるだけで、本編にはSEXが描かれないのも珍しい(ただし「SUPER PINK」と題された成人向け小冊子にはガッツリ描かれてる)。

そして心の琴線に触れた理由がもうひとつ。

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  • 自分たちが恋人であることを周囲に伝えるべきか?
  • 交際を親に認められる必要があるのか?
  • パートナーが病院に運ばれた際に「ルームメイト」としか名乗れない辛さ。

といった、同性の恋人である場合にどうしても付きまとう諸問題についての描き方だ。

これらの問題を扱った作品は他にもあるけど、それに対する2人の選択の仕方やその後の様子が、わざわざ強調されるわけでもなく、何というか……「普通」に描かれていることに感心したのだ。

昨今のポリコレについて思うこと

とくに欧米でポリティカル・コレクトネス(英: political correctness、略称:ポリコレ)という概念が話題になっている。

元々は旧ソビエトで使われた語彙だったものが、政治的な紆余曲折あって、いまは「人種」「信条」「性別」「性指向」などの違いによる差別や偏見を無くしましょう……という考え方を表す言葉になっているらしい。

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日本でも「看護婦」が「看護師」に改められたり、「スチュワーデス」という言葉がなくなって「客室乗務員」になったり、男性・女性を区別しない表現になってきてるよね。

[日本での実例]

  • 看護婦・看護士 ⇒ 看護師
  • 障害者 ⇒ 障がい者、障碍者(「害」の文字が問題とされたため)
  • スチュワーデス ⇒ 客室乗務員、キャビンアテンダントなど
  • 土人 ⇒ 先住民(おもにアイヌの方々のこと)
  • 肌色 ⇒ ペールオレンジ、うすだいだい(人種により肌の色が異なるため)
  • 母子健康手帳 ⇒ 親子手帳(父親の育児参加や家族形態の多様化のため)
  • 子供の呼び方 ⇒ 男女ともに「さん」
  • 女優、俳優 ⇒ 男女ともに「俳優」
  • ランドセルの色 ⇒ 男女どの色でも選択可能
  • 学生服 ⇒ 女子生徒でもズボン通学可(現状では一部の学校のみ)

差別をなくそうという、この考えそのものは良いことだと思う。ただ、ポリコレがあまりにも行き過ぎて、エンタメ界隈では少し可笑しなことになってる。

アメコミや洋画に登場する女性が男性顔負けの戦闘力を備えていたり、筋肉隆々なガタイのいい人物として描かれていたり、従来は白い肌だった人魚姫に黒人の女性が起用されていたり。はては日本の漫画やアニメに対して「なぜ黒人が登場しないのか?」といった批判をする人もいるらしい。

いや、その批判は可笑しいだろう。

そもそも日本のアニメは日本向けに作られたものだし、日本を舞台に描かれている作品に外国人が登場しないのは不自然ではない。もちろん、留学生が来るなどの設定があるなら別だけど、現時点では人口のほとんどが日本人なのだから、いないのが当たり前なんだ。

自分たちの主義主張のために、不自然な改変を要求するのは違うと思う。

日本における同性愛の扱われ方

日本でも最近では、各都道府県で同性同士のパートナーを公的に認める制度が増えてきた。

いまだに同性愛に対して無知・無関心・否定的な意見の人が多いのも実情だし、議論は難航しているけど、近い将来に同性婚が認められる日がくるかもしれない。

その一助となっているのが、アニメや実写ドラマで同性愛をテーマにした作品が増えていること。

おかげで、同性愛にはまったく関心がなかった世代の人まで目にする機会が増えていて、それがあるのが当たり前、という風潮になりつつある。そこは素直に歓迎したい。

ただ、わたし個人としては「同性愛ドラマ」と区切らないことが当たり前になればいいなとも思っている。

いまはまだ過渡期だし、そういう概念を意識する人が増えていくための土壌として「同性愛もの」とカテゴライズされるのは仕方ない部分もある。

でもそのこと自体が、「同性愛とは特別で異質なもの」と定義づけているようにも感じてしまう。

わざわざLGBTQを題材にするのではなく。
推理ものや冒険もの、医療ドラマや刑事ドラマ、日常ものの中に、
自然に同性カップルが混じっている。

ゲイだから、レズだからと意識されるのではなく。
友だちに「もしかして付き合ってる?」と揶揄われて、「いいじゃん」と祝福される。
その2人がたまたま同性だった。

それが本来の「ジェンダーフリー」なんじゃないだろうか?

70憶もの人間がいるこの時代に「子どもができないから非生産的」なんて考え方も、さすがに古い。

ストーカーや小児性愛のような犯罪は論外として、成人した個人が誰と恋愛しようが自由だし、そこを親兄弟や赤の他人が否定する必要はないはずだ。

わたしもBL小説を書いている。

書くのも読むのも楽しいし、わたしの作品を楽しんでくれている人がいるのだから、削除するつもりもない。

ただ今後は、同性愛を主題にした作品ばかりではなく、ごく自然なカップルとして同性同士の組み合わせが混じるような作品も、増えていくんじゃないかと思っている。

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