幾度かの角を曲がり、幅広の階段を上る。
どうやら中央にまとめられた各部屋を廊下がグルリと取り囲むような構造になっていたらしい。
たどり着いたのはその真上に位置すると思われる大広間だった。
「だん……なサマ、つレテまいリマシタ」
入口で深く頭を垂れた家令は、2人を中へ通すとそのまま何事も無かったようにいずこかへ立ち去っていく。
家令の後ろ姿から広間へと目を戻して……ジャックスは再び息を飲んだ。
薄暗い部屋の中央に灰色のガウンを着た大柄な男が立っていた。
顔はどうという特徴もない平凡な造作で、パッと見の印象だけならば40代半ばほどにみえる。その右手に握っているのが葉巻やワイングラスででもあったなら、いかにも自宅でくつろぐ貴族といった風体だろう。
しかし彼が手にしていたのは紫色の大きな石が嵌め込まれた杖。足元に広がるのは見たこともない複雑な文様で書き込まれた魔方陣だ。塗料として使われているのは血なのだろうか? 周囲にはむせかえるような鉄錆の臭いが立ち込め、ほんの十数秒居ただけで吐き気がこみ上げてくる。
だが、息を飲んだのはそれが理由ではなかった。
血の臭いと闇に紛れて蠢いていたもの。それは獣の体に3つの人の胴体が融合した異形だった。下半身となっているのはおそらく牛に類する大型獣だろう。その胸から上が黒い髪をした女性の体に挿げ替えられ、その背中合わせにさらに2人分の女性の体が繋ぎ合わされている。
とても正視に耐えない形状だが、驚くことにぼんやりと虚空を見つめる彼女たちにはまだ……意識があった。
《………………ぇて…………ダれ……か……誰…………》
《うぅ……いたぃ……ヒッ……》
《……も……イヤ…………ここから……ダして……》
「―――なんと……惨いことを……っ!」
虚空を見つめたまま涙を流す女性たちの呟きを耳にして、激烈な怒りがこみ上げた。
これまでにもさまざまな異形や惨状を目にしてきた。人の心など歯牙にもかけない妖異たちの策略で苦悩を味わったことも、巻き込まれた人々の凄惨な光景を目にしたこともある。冒険者家業を続けていれば、そうした理不尽に遭遇することは珍しいことではない。だが…………これは、違う。これを行なったのは人間だ。
おそらくろくな知識も無いまま繰り返した儀式や実験が、たまたま異界に通じるヴォイドを発生させ……妖異と思われる存在に取り憑かれてしまったのだろう。
経緯がどうであれ、人の行った所業であることに変わりない。
「……ああ、ちょうどよかった」
茶褐色の髪と髭に埋もれた青ざめた唇から野太く低い声が響いた。
「あと少し、依り代に注ぎ込む魂が足りなかったのだ」
「依り代? まさか、キメラの体に妖異を呼び降ろすおつもりなのですかっ?」
「妖異などではない。わたしだ。わたしが永遠の命を手にするために。不死の体がどうしても必要なのだ」
「そんなことのためにっ! 儀式と称していったい幾人の人々を殺めてきたのですかっ!?」
もう商人を装う必要もない。抑えきれない怒りを滲ませながらジャックスが低く問うと、男は心外だと言わんばかりの大げさな身振りで両手を広げつつ言った。
「殺したわけではない。神より選ばれしこのわたしの、崇高なる使命のための礎となったのだ!」
陶酔したように叫んだ男はテーブルに置かれていた燭台を取り上げ、足元に蠢くキメラを見せびらかすように照らし出す。
「ここまでの実験は成功なのだ。―――あとはこの身体に大量の魂を注ぎ込めばいい」
「……っ!?」
ふいに間近に迫った声に驚いて振り向くといつのまにか男が眼前に立っていた。
とっさに左足で床を蹴って身をよじる。
(……ひとの動きではない……!)
そうと認識した瞬間には、右後ろにいたオリヴェルの身体を片手で引き寄せ大きく後ろへと飛び退っていた。
こちらの反応を面白がるように、男はゆらゆらと体を揺らしながら再び近づいてくる。
「貧弱な下僕どもでは足りなかった。やはり生きのいい男の肉体でなくてはな」
男の目はジャックスだけでなくオリヴェルへも注がれていた。
つまり彼らは捕らわれの女性とその商人としてではなく、生命力を秘めた実験体として迎え入れられたらしい。
そうと察して淑女らしさをかなぐり捨てたオリヴェルが俯いたまま低く呟いた。
「これはもう、手遅れだった……ってことで、いいんだよな?」
「ええ……残念ながら」
俯いたまま右へ大きく振ったオリヴェルの手に彼の愛用する弓が現れる。
それを合図に隠形していた双剣士たちも次々と姿を現し、ジャックスの両手にも双剣が握られていた。
突然現れた複数の刺客を見てもやはり男は驚かなかった。
「素晴らしい……! なんと力強い魂だ。これだけの数の魂を喰らえば……ワタシも……」
ゆらゆらと迫る男がおもむろに手を伸ばす。
反射的に身を引いたジャックスの右腕を不可視の速度で伸びた男の手が掴んだ。
「痛っ……!」
鋭い爪が皮膚を突き破り、血しぶきが散る。
「ジャックス!」
舌打ちをして矢を番えたオリヴェルが男の肩口を射抜く。
深々と肩を貫いた衝撃で男はいっしゅん傾いだものの、動じることなくジャックスの腕を掴んだまま歩き続けた。
「くっ……は、離せ……」
万力のような力で腕をつかまれたジャックスは、苦痛に顔を歪めながら左手に握った短剣で男の腕を切りつけようとした。が、その左手をさらに異形の何かがつかみ取る。
「なっ!」
目の前で突き破ったシャツとガウンを介して肩甲骨の位置から伸びていたのは、コウモリを思わせる皮膜のついた指と爪だった。どうやらすでにこの男自身もキメラと化していたらしい。そのままずるずると引きずられ、逃れようともがくジャックスの足が魔方陣の淵に触れた瞬間、異様な衝撃が全身を駆け抜けた。
「ぐっ……あああああああっ……!!」
まるで全身の皮膚に微細な棘が突き刺さったような名状しがたい苦痛だった。
この魔法陣が男の言う「魂」を吸い上げるためのものなのだろう。たちまち身体から力が抜けていく。皮肉にも爪が突き刺さった腕の痛みだけが辛うじてジャックスの意識を繋ぎとめているような状態だった。
「おおおおっ! 素晴らしいっ! なんと力強く鮮やかな魂だ!あとは周りにいる者たちの魂も取り込めば、ようやく……ようやくわたしの願いが叶う……!」
キーンと鳴り響く耳鳴り。男はそのまま狂ったような笑い声を立て始めた。
立てつづけに起きた異様な出来事に固まっていた仲間たちが、ジャックスを助け出そうと駆け寄ってくる。
それに気づいたのは偶然だった。
慌てる双剣士たちの向こうでただひとり弓を握ったままこちらを凝視していたオリヴェルの瞳と、男の握っていた杖の先端についていた紫の石。眩い光を放っていたそれらが霞む視界の中に一直線に飛び込んできたのだ。
「……オリ……ヴェル!……先端の石を撃て!!」
「!? ……っ!」
ジャックスが放った叫びが結果として跳ね返ったのは数秒後のことだった。
白い軌跡を纏って飛来した矢が杖に嵌められた紫色の石を穿った。
とたんに分厚い殻が剥がれるように全身の硬直が解ける。次の瞬間には動き出していた。矢の勢いに吹き飛ばされた男の全身を、縦横無尽に走る双剣が切り刻む。
ギャアア……と耳を覆いたくなるような悲鳴が轟いた。追い討ちをかけるように無数の光の矢が魔方陣目掛けて降り注ぎ、周囲の瘴気をも巻き込んで消滅させていく。
「…………ノレ……オノレェエ…………!」
全身から血を流す男の体を、なおも取り憑く何者かの意思が動かしていた。
ずるずると這い進む先にあるのはあの異形。
(アレを喰らうつもりか!?)
慌てて駆け寄ろうとしたがここは仲間の双剣士たちのほうが早かった。
異形を庇うように立った双剣士たちが動く屍と化した男の身体を細かな肉片へと細分する。そこまでしてようやく取り憑いていた何者かの気配が消え去った。
後に残るのは十数人分の干涸びた遺体と、小さく蠢き続ける異形。
「これは…………もう……」
灯りをつけて視界を確保した彼らは改めて異形を見て陰鬱な面持ちとなった。
先ほど暗がりの中で見立てた通り、キメラの元となったのは牛型の大型獣と3人の女性だろう。しかし獣の胴体の所々から収まりきらない彼女らの身体の一部が突き出していて、不完全な融合と言わざるをえない。
こうなってしまっては、元の身体に戻すどころか切り離すことも不可能だった。
せめて少しでも苦痛なく永遠の眠りに誘うほかない。
そう覚悟を決めたジャックスが一瞬で終わらせるための方法を模索していた時。
タタッ……と軽い足音が駆け寄った。
「カイ!?」
すべては一瞬の出来事だった。
驚く大人たちの間を風のように駆け抜けた少年が目指したもの。それはキメラの正面になっていた黒髪の女性だった。少年がいつの間にか手にしていた小さなナイフが、彼と面差しのよく似たその女の胸を貫いた。
表情を消したまま少年は、さらに振りかぶったナイフで次々に女性たちの胸を刺し、最後に胴体となっている獣の身体に突き立てて止まった。
シン…………と、そら恐ろしいほどの静寂が広がった。しばらくは誰も動くことができなかった。
やがてドサリと布袋が落ちるような音と共に、少年の身体が崩れ落ちる。
慌てて駆け寄ったジャックスが抱き起すと、カイは見開いた目を虚空に向けたまま放心していた。
「…………カイ……!」
たまらずジャックスはカイの身体を搔き抱いた。
とめどなく涙が溢れた。
もちろんこれは少年が望んだ結末ではないだろう。
最後の瞬間に、誰よりも早く覚悟を決めたのが少年だったというだけ。
不甲斐ない大人たちが彼にこの凶刃を取らせてしまったのだ。
「………………業、だな……」
堪えきれず咽び泣く一堂の中でただ一人、静かな面持ちでカイを見つめていたオリヴェルが呟いた。
歩み寄った彼の指が、虚空を見つめたまま息絶えた女性たちの目を閉じていく。
「全力で抗っても掬えない命がある。一瞬で…………救える命もある」
オリヴェルはどこからか銀糸の弦が張られた優美な弓を取り出した。
矢を番える代わりに弦をなぞった指先が、静かに、憂愁の調べを奏で始める。
『少年は心から憂いた 美しい少女の無垢な心を
少女は心から願った 少年の永久の幸福を
無情な業(カルマ)の刃は 二つの魂を引き裂けども
母なる星は慈悲の腕に その魂を抱くだろう』
弦の音色が夕間の静寂に消えるまで、彼らはジッと佇んでいた。

