クルエラとの出会いから数年後。
胸のうちに巣食う夢魔がひっそりと呟いた。
―――このままじゃ……足りない……。
成人となったヴォルクは心身ともに成熟し、次第に悪夢に動揺しなくなっていたのだ。
そして夢魔は、彼女がまとう白い光が恐ろしかった。
このままでは、悪夢を食べて成長することができなくなってしまう。
どうすればいい?
―――あの娘を………………失わせればいい。
そして、夢魔は、動き出した。
ヴォルクはその晩、久しぶりに悪夢を見た。
燃え盛る炎。襲われる集落。無数に蠢く黒い妖異たち。
その向こうに、ぼんやりと見える、黒い法衣をまとった黒髪の少女。
まるで主であるかのように、尊大な態度で立つ少女は手を広げ、魔物たちを扇動する。
周囲の人々を次々と殺し、両親を殺し、そして我が身へと迫る影。
恐怖にせり上がる鼓動。
魔物たちが振り上げた腕の向こう……そこにいた黒い法衣の少女は。
「………………はっ……はっ………………は……」
寝台の中で荒い呼吸を繰り返すヴォルクは、くっそ!と毒づいて頭を抱えた。
夢の中の少女の顔は、クルエラだった。
もちろん、そんなはずは無いのだ。
自身との年の差から考えれば、彼女が生まれたのはあの事件の少し前で、ヴォルクの悪夢には何の関わりもない。明らかに、夢魔が意図して見せている虚構だ。
ただ、少しだけ気になることがあった。
悪夢に気を取られてすっかり忘れていたのだが。
あの晩、救世主の如くあらわれ、自分を助け出した冒険者たち。
そういえば、彼らはなぜ…………あの場に居合わせたのだろう?
翌日、ヴォルクは、当時の様子を知る知人の元を訪ねていた。
遊牧の民が越冬の為の一時を過ごすために作られた小さな集落。
そこに、長年住み続ける老婆だ。
彼女の話によれば、あの日、妖異たちの出現は予見されていたのだという。
集落から少し離れた森でひとつの秘術が実行され、次元の裂け目が発生した。
駆けつけた憲兵によって為政者へと報告され、まもなく冒険者たちが駆けつけたのだが、妖異の幻術に惑わされ、集落に辿り着くのが遅れてしまったのだ。
冒険者の1人、呪術師だった女性が苦戦の末に次元の裂け目を塞ぎ、脅威は去った。
しかし彼らが集落にたどり着いた時には、半数以上の人々が犠牲になっていた。
自身の失態を悔いた彼らは、冒険者を引退し、後に資産家として財をなしたという。
「あの冒険者たちは、手にした莫大な資金を、あんたと同じように親を亡くした孤児たちの救済に注ぎ込んでいたんだよ。だけど、何年か前に流行り病で亡くなって、たった1人の娘さんも、いまは行方が知れないって話をきいたがねぇ……」
「………………まさか……な」
「なんだい? なにか心当たりでもあるのかい?」
「い、いや…………」
老婆の元を離れたヴォルクは、街へ帰還してすぐに冒険者ギルドへと戻った。
ギルドマスターへと頼み込み、当時の記録を漁る。
そして、そこにあった事実に呆然とした。
あの日、自分を助けた冒険者は、クルエラの両親とその仲間たちだ。
彼女の纏っていた白い光の気配。
それは当時妖異たちを退けた、呪術師だった母親から受け継いだ異能。
ヴォルクの中にいる夢魔が記憶し、恐れていた力だ。
実際にヴォルクの目に[白い光]として見えていた訳ではないが、夢魔が知覚した力を、自身のもののように感じていたというわけらしい。
(……もし……あのとき………………)
もちろんクルエラにもその両親にも、何も罪はない。
だが明らかになった事実に、ヴォルクは言い知れぬ、心の闇を感じていた。
とある夕暮れ。
「………………近頃、なんだか、可笑しいのですわ……」
ラウンジの一角でお茶を楽しんでいたクルエラは、ヴォルクの姿を横目に眺めながら独りごちる。
彼は少し離れた窓辺に佇み、物憂げな顔で雨の街を眺めていた。
亜麻色の髪、茶褐色の瞳をした彼は、いつもどこか物憂げで。
普段は多くを語らないけれど、上手くいったと報告すれば笑い、誤った時には叱り、それとなく自分を助けてくれている。
出会った時は少年の面影を残していた彼も、いまやすっかり大人びて。
ますますその美貌が増していた。
そこまで考えて、クルエラは、ぽっと頬を染めた。
初めて会った時は、ただの面倒見のいい青年だと思った。
しかし数日経って落ち着いて見ると、彼は柔らかな雰囲気を漂わせた美青年で。
それを意識した途端、突っ掛かっていた自分が、恥ずかしくなってしまった。
その出会いから数年。
彼の存在が、何ものにも代えがたいと感じるようになっていた。
ところがこの数週間、少しずつ彼の態度がぎこちなくなってきている。
原因は分からない。
しかしそれでも彼は、自分が困っていると、微妙な笑みを浮かべつつも救いの手を差し伸べてくれる。そんな彼に報いたいと思うのだが…………。
考え込むクルエラの視界の端で。
ふいに、青年の姿がぐらりと揺らぐのが見えた。
「…………!?」
きゃあ!と近くにいた女性たちの悲鳴があがり、店員の男性たちが慌てて駆け寄る。クルエラが近づいてみると、ヴォルクは真っ青な顔で意識を失っていた。
「どうなさいましたの!ヴォルク!?」
「お嬢ちゃん、あんた彼の知り合いかい?」
「え、ええ、友人ですけども……」
「彼、この頃ずっと顔色が悪いようだったんだ。どうも寝不足らしくてね」
「……寝不足?」
「いつもなにやら、胸を抑えて苦しそうにしていたから、何か患わずらっていたのかもしれないがね」
「………………」
そう言われて記憶をたどれば、ヴォルクは何度も、片手で胸を押さえるような仕草をし、じっと自分の胸を見つめていたような気がする。不思議に思って訊ねるといつも「食べ過ぎた」とか「暴言に傷ついた」などと笑っていたので、さして気に留めていなかったのだが……。
クルエラは店員たちの手を借りて、ヴォルクの滞在先である宿へと運び込んだ。
そしてしばし躊躇ったあと、仰向けで寝かせられた彼のシャツの合わせをそっと広げてみる。
そこにあったものを見て、クルエラは息を飲み込んだ。
(…………妖異……!)
ヴォルクの胸の真ん中で、皮膚を介し薄く透けて見えていたのは。
赤とも、青ともつかぬ、奇怪な色が混ざりあった鶏卵大の球。
ひと目見て分かった。これは、妖異だ。
ヴォルクの胸のうちに収まっているためか、妖異の気配がとても小さく、実際に目にするまでは、黒魔道士として成長したクルエラでさえ存在を察知することができなかった。
こんなものを、彼はずっと抱えたまま過ごしていたのだろうか?
枕元で呆然としていると、ヴォルクが薄っすらと目を開けた。
そしてクルエラの姿を見てハッと目を見開き、やがて、諦めたような溜息を吐き出した。
「ああ…………気づかれちゃったか……」
「いつからですの?」
「え?」
「この妖異は、いつからヴォルクの胸に巣食っていたんですの!?」
「…………ずっと、小さな頃からだよ」
ふ~~~~~と長い息を吐き出し、天井を見つめたヴォルクは、静かな声で続けた。
「俺が、天涯孤独の身の上だってのは、話しただろ? 子供の頃、殺されたんだ、妖異に」
「…………!」
「その時、俺も死にかけたんだけどな。胸に傷を負っただけで辛うじて助かった。だけどその傷の中に、妖異の一部が残っちまっていたんだ」
「取り除かなかったんですの!?」
「気づいた時にはもう、心臓にガッチリ食い込んじまってたみたいでな」
「…………そんな……」
「どんな名医だろうが、魔術師だろうが、心臓を盾に取られたんじゃ手出しできない。いつか妖異が俺の胸を突き破って出てくるか、それとも俺の鼓動が止まるのが先か。どちらにせよ、もう間もなく決着が付くだろうと踏んでたんだけどな……」
もし外に出てくるのが先でも、黒魔道士のお前なら、討伐できるだろうし。
最後にそう小さく呟いて、俯いた彼は、昏く笑う。
クルエラはぎこちなく首を振り、思わず両手で顔を覆った。
だから、このところ、ぎこちない接し方だったのだろうか?
自らの死を悟っていたから? それとも……。
「…………嫌ですわよ」
「え?」
「嫌ですわよ! 貴方が、妖異に殺されるのを、黙って見ていることなどできませんわ!!」
「そりゃ……まぁ…………俺も、死にたいわけじゃないけどよ」
駄々っ子を見るような淡い微笑みで、ヴォルクは宥めるように呟く。
それにキッ!と睨み返したクルエラは、突如、踵を返して駆け出しながら叫んだ。
「待っておいでなさい。絶対に見つけて見せますわ! ヴォルクを救う方法を!!」
それからクルエラは昼夜を問わず、方々を駆け巡った。
様々な書庫を漁り、呪術ギルドや召喚ギルドといった妖異に関わる見識者の元を訪ね、妖異を取り除く方法を探し回った。しかし、いずれの方法も、場所が心臓であるがゆえに危険性が高く、実行に踏み切ることができない。
その間にも、ヴォルクの状態は次第に深刻なものとなっていた。
クルエラに存在を気づかれたことを知った夢魔が、彼女を阻止しようと暴れ始めたのだ。
彼女が宿を訪れるたび、ヴォルクを苦しませ、その行動を躊躇わせようとする。
しかし、クルエラは諦めなかった。
苦しむヴォルクを抱え、泣きながらも、方法を訪ね歩き続けた。
そして。
2週間以上の日々を掛けて、ようやく辿り着いたのが、妖異を高濃度の光のエーテルで包み込む、という方法だった。
森の都のエルフたちの協力を仰いだクルエラは、彼らの助言に従って光属性のクリスタルを探し出し、それを首飾りへと加工することを思いついた。
そして、運命の日が訪れた。
それはクルエラが妖異を取り除く方法を探しはじめて17日目の夕刻の事。
繰り返し心臓を痛めつけられていたヴォルクは、衰弱のあまり寝台から起き上がることすら難しくなり、昼夜を問わず再現される悪夢に苦しめられ続けていた。
反比例するように急速に成長した夢魔は、ついに拳大にまで膨れ上がり、ちょうど鳥の雛が卵の内側から突付くように、殻を破って飛び出そうとする。
(………………もう……この身体に、用は、ない……)
「………………!」
一瞬の、ガンと脳裏に響く声のあと、これまでで最大の強い圧迫を胸に感じ、ヴォルクは声を出すこともできず、寝台の上で身藻掻いた。
ドクン、ドクン、ドクン……と、耳のそばで煩うるさく時を刻む鼓動。
干上がっていく喉。背を伝う脂汗。
爪が割れるほど強く寝台を握りしめても、苦しみから逃れることができない。
胸の内側で夢魔は、何度も殻を破ろうと膨張を繰り返す。
そのたびにヴォルクは、焼けた鉄槌で殴られるような重い痛みに喘ぐこととなった。
それからどれほどの時間が流れたのだろう?
苦痛に耐えかねたヴォルクが意識を手放し、彼が無意識のうちに形成していたエーテルの殻が、急速に効力を失い…………。
突如、バタン!!と高い音を立てて扉が開いた。
いつもなら美しく整えているはずの法衣も髪も振り乱し、険しい表情を浮かべて駆け込んできたクルエラは、寝台の端にうずくまったヴォルクを目にして、ハッと鋭く息を飲んだ。
すぐに表情を改めた彼女は、無言のまま寝台へと歩み寄った。
「…………もう、おいたは終わりですわよ」
誰にともなく呟いたクルエラは、そっとヴォルクの身体を仰向けた。
彼の胸の真ん中で、皮膚を押し上げ、膨張を繰り返す夢魔の殻。
意識の無いヴォルクの顔を見下ろしたクルエラは、懐から取り出した首飾りを彼の首に掛けると、労るようにそっと、青ざめた唇に口づけた。
次の瞬間。
ギャアアアアアア!!と、低くおぞましい悲鳴が鳴り響いた。
首飾りを握ったクルエラの手の内から、目を焼くような白い光が広がった。
今まさに、皮膚を破って飛び出しかけていた妖異を包み込んだ光は、またたく間に圧縮し、親指の爪ほどの純白の玉を形成して…………消えた。
血を流す胸の傷に応急処置を施しながら、クルエラはホッと息をついた。
あとは、このまま光のエーテルで夢魔の闇を緩やかに相殺すれば、心臓を傷つけることなく夢魔を消滅させられる。
その状態を維持し続けるには魔法に通じた者の協力が必要となるが、黒魔法を修めたクルエラがそばにいれば、問題なく維持できるはずだった。
「………………う……」
それから2時間ほどの後、ようやくヴォルクが意識を取り戻した。
やつれた表情で見上げる彼に、クルエラは事の次第を話して聞かせた。
沈黙したまま、じっと話を聞いていたヴォルクは、彼女が用意してくれた首飾りを手に取ると、ふっと笑ってクルエラを見つめる。
「それは文字通り、俺の心臓が、お嬢さんの手に握られたってことだな」
「え? あの……それは、どういう」
「いいぜ」
ふらつきつつも寝台の傍らに降り立ったヴォルクは、唖然とするクルエラの前に膝をつく。
彼女の手を取った彼は、初めてみる晴れ晴れとした笑顔で微笑んだ。
「俺の命を救ってくれた君。…………ずっとそばに、居てくれますか?」
「え…………あ……え…………??」
真っ赤になって狼狽えるクルエラに、さらに畳み掛けるようにヴォルクが言う。
「鈍いな、お嬢さん。結婚してくれるか?って聞いてるんだよ」
ボンッ!と顔を紅潮させたクルエラは、ふら~~~っと倒れかかった。
「おっと」と力強い腕に支えられ、胸に顔をうずめたクルエラは、視線の先で光る首飾りを見つめ、やがて小さな声で呟いた。
「も、ちろん…………ですわ」
「…………そっか」
ふふっと笑ったヴォルクは身をかがめ。
赤い顔で見上げるクルエラに、そっと口づけた。
それから数カ月後。
両親の残した屋敷を売り払い、身軽になったクルエラは、ヴォルクが新たに用意した小さな家へ転がり込み、慎ましくも幸せな新たな生活をスタートさせた。
ヴォルクはその後、悪夢を見なくなった。
《終わり》

