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#29 動き出す闇(モブ視点)

ボクの優しいご主人さま

静まり返った室内にジジッ……と炎の揺れる微かな音が響く。
それに気づいたグラナート国王エイドルフは、書きかけの書状に目を落としたまま低く「なんだ」と呟いた。
するとまもなく、いずこともしれぬ暗がりの向こうから囁くような声がした。

『―――先王陛下の謀殺を企てし闇が、ふたたび蠢きだした模様……』

まるで温度を感じさせない淡々とした声だった。
ピクリと眉を震わせた王はそれを誤魔化すように「ほぉ?」と殊更明るい声音で応じた。

「こたびの奴の目的はなんだ。予の馘首かくしゅか」

『―――いえ。おそらくは、例の異世界人の……』

「……そうか」

ついと持ち上げたペン先が墨壺へと沈む。
そのわずかな間に潜んでいた間諜の気配は消えた。
エイドルフはそのまま書き物を続け、締めに己の署名を書き加えたところでようやく人心地ついた表情で溜息をつく。

王に即位してからというもの、とかく注意を払う物事が増えた。
発言ひとつ、身振りひとつで人の命運を左右できるのが「王」を担う者の職責だ。言葉運びを間違えれば多くの者に誤解を与えるだけでなく国が亡ぶこともある。

それをつくづくと実感させられたのが2年前に起きた先王の暗殺だった。

「……っ」

一瞬、脳裏を過ぎった光景にエイドルフは、ズキリと痛んだ胸を押さえた。
何年経っても色褪せることのない無念と後悔の記憶。


―――その、事の発端となったのはエイドルフの長男の誕生日だった。

エイドルフには長女・次女と、第三子となる長男、そして次男という4人の子がいる。
グラナート王国の法では女性に継承権はなく、エイドルフが王座に就けばおのずと長男が王太子へと繰り上がる。平時であればそれが順当で、何の支障もなく貴族たちを納得させられるはずだった。

ところがそこにボルド派を標榜する貴族たちが待ったをかけたのだ。

幼少の頃から「粗暴な厄介者」と悪名は高かったものの、第二王子ボルドは大陸にたった3人しか確認されていない稀少な5属性使いクインテラー。とくに土魔法と闇魔法を組み合わせた範囲砲撃がとくいで、対魔物戦では超強力な戦力となる。
難をいえば当人の取り扱いが難しいということだが、傀儡かいらいとして操ることなど容易いと考える貴族らにとっては好都合なのだろう。

ましてその当時は大陸中に魔物が蔓延はびこり、戦況次第では国が滅び兼ねないという戦乱の真っただ中だった。まだ10歳にしかならないエイドルフの息子より30歳のボルドのほうが優先されるべきだと主張しても可笑しくはない。

そんな水面下で続く論争の最中。

『父上も、叔父上も、従兄さまたちもみんな必死で戦ってるのに。わたしは剣すらまともに扱えなくて見送ることしか出来ません。それが……悔しいのです』

『ははっ! そなたは早熟だのう。まだ10歳になったばかりであろうに。そう早くから気負わぬともよいわ』

『ですが……!』

『今すぐに役立たねばと焦る気持ちも分からんではないがな』

先王は穏やかな笑顔でポンと長男の頭を叩き、

『そなたは王位を継ぐ身だな? ならば心しておくがよいぞ。王の仕事ははな、戦場で剣を交えることではないのだ。まずは戦を起こさせぬこと。起きた戦に責任を負うこと。そして倒れた騎士や兵士らに報いること。この3つだ』

『報いる……こと?』

『そうとも。それは王にしか出来ぬ仕事だ。だから、そなたがいま為すべきことは、焦って戦地に赴くことではなく、王として責務を果たすための知恵や力を身につけることなのだ。いまはしっかりと勉学に励むがよい』

『……はい、おじい様』

誕生日を迎えた孫と交わした何げない会話。
先王はあくまでも、いずれ王位を継ぐエイドルフがそれを息子に譲り渡す遠い未来の心構えを語っていたに過ぎない。しかしこれが悪意ある者たちによって『盲愛する王が10歳の孫に王位を継がせようとしている』話だとして流布された。

王太子であるエイドルフが健在なのだ。それを飛び越えて子供に王位を譲ることなどあろうはずもなく、聞けば誰もが「そんなバカな」と笑う妄言だろう。

しかし時は幾万の魔物が蔓延る大戦の最中。時を置かずして国境付近の村で第二王子ボルドが大怪我を負ったという報せが届いたことで「妄言」の信憑性が増してしまったのだ。……いや、切っ掛けは何でも良かったのだろう。ようするにエイドルフを失脚させようとした貴族らが、その息子である長男との会話を利用したというだけの話だ。

そして妄言に踊らされた人々の不安はやがて、現王の権威を維持しようとする王太子派と第二王子派の争いを過熱させ、それを諫めようとした先王に刃が向かうことになった。


そんな経緯で即位したエイドルフが疑心暗鬼に囚われずに済んでいるのは、王太子の頃から親身に仕えてくれているもうひとりの5属性使いクインテラー……鮮麗の貴公子ラルグリートの存在あればこそと言える。
だからこそ。

「……同じ辛苦を、ふたたび味合わせたくはないのだがな……」

呟いた王の指先が書き上げたばかりの書をコツコツと叩く。
すると紙の書は瞬く間に白い鳥へと姿を変え、王の頭上をくるりと旋回してから閉じた窓ガラスをすり抜けて夜空へと飛び去っていった。
その軌跡を目で追っていたエイドルフは、中天に浮かぶ月を眺めて溜息をついた。

おそらくこの国は、いや……世界は、変革に向けて大きく動くのだろう。
その発端となるのは間違いなく件の異世界人だ。

理論上実在は有り得ないとされていた全属性使いオムニアの出現。
それだけでも騒乱の火種となるのは確実だというのに、きけばその異世界人は少女と見紛うほど儚げな容貌を持つ少年であり、ラルグリートの婚約者。そのうえ、これまでは無能と蔑まれていた異世界人でありながらすでに魔法の才の片鱗をも見せ始めているらしい。

いかに楽観的に考えたところで貪欲な貴族たちの標的にされないはずはなかった。

(果たして貴族らはどう動くだろうか?)

手に入れようと画策するならばまだしもだ。
ひとは未知なる存在に恐れを為しそれを遠ざけようと動きがちなもの。扱いに困る全属性使いオムニアの異世界人を亡き者にしようと考える輩が現われても可笑しくはない。
手に入れたい者、排除したい者、守ろうとする者。そんな三つ巴が生じれは再びの争乱となる恐れもある。

ただ2年前と違うのは、日ごろは穏健な一族として知られるマルベスカ家がすでに「サルどもの駆除」を視野に置いた根回しに動いていることだった。

むろん侯爵家の利益となるのを見越してのことだろうが、真っ先にエイドルフへ報せてきたことを思えば彼らが国益を損ねるような手段を用いるとは考えにくい。おそらくは耳障りのいい美談として『ラルグリートの婚約者』の有用性を広く知らしめ、いずれ異世界人と知られても排斥されにくい状況を作り出そうとしているのだろう。

貴族らの大半が擁護に傾いたあとであれば「この異世界人を害する者あらば罰する」という主張が通る。むしろそれを大義名分として軍事行動を起こす気だ。
国王としても、ヒマさえあれば謀略を孕む面倒な連中を大っぴらに断罪できるなら願ったりというものだった。

(一番の問題はやはり、あの乱暴者の大ザルが王弟という地位に留まっていることか)

乱暴者の大ザルことボルド自身に損得勘定などはない。
ただ考えなしのせいで、掠奪者と排斥者どちらの誘導であろうが、貴族らが二言・三言耳打ちしただけですぐにその気になってしまうのだ。噂が耳に入るのは時間の問題であるにせよ、なるべくならばボルドが暴走する事態は避けたいというラルグリートたちの憂慮は理解できる。

「とはいえ……人死にが出ることは避けられぬのだろうな……」

呟くエイドルフは月を見あげたまま沈鬱な表情を浮かべた。
まだ会ったことのない異世界人に対して王が思い患うことは無い。ただ、最愛の者を傷つけまいと奔走する青年の努力は汲んでやりたいと思う。

「……いちおう、揉め事は起こすなとあのバカに釘を刺しておくか」

やれやれと腰をあげ廊下へ向けて歩きだした。
普段は自領で過ごすことの多いボルドだが、いまは王家の年中行事に合わせて王城内に逗留しているのだ。年始の祝賀では侯爵家の面々とも顔を合わせることになるだろう。

いまの内にそれとなく行動制限をかけておくに越したことはない。
果たしてそれがどれほどの効力を持つかは分からないが。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


一方、城内の中庭を囲む回廊でピイという鳥の鳴き声と羽音に足を止めたのは、マルベスカ侯爵ニコラルドの弟ルーフレッドだった。
見あげた夜空を白い鳥が飛び去っていく姿を見送って、ボソリと独り言ちる。

「……あれは王の……さすが陛下は決断がお早い……」

勅書や機密文書などを送る際に用いられる『伝書鳥』は要職につく貴族らが用いる特別な魔法だが、鳥が纏っていた魔力の波長は王のもので間違いない。

ルーフレッドが進言に訪れたのは半刻(※約1時間)ほど前だ。このタイミングで勅書を送るなら受け取るのはおそらく兄だろう。
そう見当をつけたルーフレッドは、鳥の向かった方角を見つめたままほくそ笑む。

そこへ。

「おお、ルーフレッド。こんなところに居ったか!」

少し離れた場所から掛けられた野太いダミ声。振り返るとくすんだ緑色の外套を纏った太った男が足早に歩み寄ってくるところだった。
頭頂は禿げ、耳の上と後頭部にだけ灰色の髪を残した丸顔の老人だ。ルーフレッドは数年ぶりに会うその人物を意外な思いとともに迎えた。

「ベンフォード卿。お久しぶりですな。お元気そうでなによりだ」

彼はベンフォード伯爵家の当主ダドリー・ベンフォードという。
先王アイヴァンの側妃メリーネの父親で、先王とは同腹の姉が降嫁しているマルベスカ家にとってもいちおう親戚と呼べる間柄だ。もっとも、詮索好きであれこれ吹聴して回る性格が災いして他の王家筋からは煙たがられている御仁だが。

「お前もな。マルベスカ侯は息災か?」

「ええ。溌溂としてますよ。ところで伯、どうなさったのです? わたしをお探しだったようだが」

「おお。さっき陛下の部屋から出てくるのを見かけたのでな。用事を済ませてから急ぎ追ってきたのだが。ラルグリートが近々婚姻を結ぶというのは本当か?」

「ああなんだ。その話でしたか」

噂を耳にしてさっそく真偽を確かめにきたらしい。
相変わらず面倒なひとだ。そう思いつつ頷くとベンフォード伯爵はやや紅潮したニヤケ顔で早口にまくし立てた。

「気になっているのは儂だけではないぞ! このごろ王城中がその噂で持ち切りだ。あやつはご婦人らに色目を使われるのが面倒だと言って、日ごろから自分は男色家だと公言しておるだろう? それがわざわざ陛下にお許しを請うてまで嫁を迎えるというのだからな。気にならぬわけがなかろうて! それで、どこの爵家いえの娘なのだ? その婚約者というのは。あのラルグリートが宗旨変えするくらいだ、相当な美人だろうな?」

下世話な好奇心まるだしな問い掛けに思わず苦笑しながらルーフレッドは答えた。

「娘ではありませんよ。とても可愛らしい子ではあるが、れっきとした男の子だ」

「は?」

「伯も仰るとおりラルグリートは男色家ですからね。女性との婚姻には微塵も興味がないらしい。迎えるのは当然男の嫁ですよ」

「なんだとっ!? ま、まさか侯爵家が、男同士の結婚を了承したというのか!?」

「ええ。驚かれるのも無理はありませんな。同性婚など市民の間では珍しくもないが、爵家の婚姻となるとまた話は別ですからね」

「当たり前だっ。貴族たる我らには尊き血を残す義務があるではないかっ。あやつは三男だから普通ならばその責務は負わぬが、何といっても大陸に3人しか居ない5属性使いクインテラーのひとりだぞ? 当然その血を残す義務があるだろうっ。男の嫁なぞ貰ったところで……」

「しかしラルグリートには女性と交わるつもりがありませんからねぇ」

自分が望むのは我が子の幸福のみ。
そう告げたときの兄の愛しげな表情を思い返しながらルーフレッドは、目を白黒させている老人に意味ありげな笑顔を浮かべてみせる。

「むろん我らとて、そこらにいる普通の少年を侯爵家に迎えたりはしませんよ」

「なに?」

「これもじき話題に上るでしょうから言ってしまいますが、その子もなかなか有能な魔法師でしてね。そのうえ知能が高く、すでに幾つかの特許を取り付けた発明家でもある。つまり高い将来性があると見込んだからこそ婚姻を承諾したわけだ」

「……ほぉ」

「まぁ確かに血を残すという意味では残念だが、子は望めずとも、当家にとって価値ある者を娶るならば貴族として一応の責務は果たしていると言えるでしょうな」

「むぅ……そういうことであれば……」

出鼻をくじかれた格好となった老伯爵は、相手はきっと目覚ましい美女だろうと期待したぶん落胆した様子だったが、すぐに気を取り直したように顔をあげた。

「ところでその発明というのはどのようなものなのだ? 売れそうか?」

「簡単にいうとご婦人向けの遊戯盤ゲームボードですね。もとは兄の末っ子の遊び道具として考案したらしいですが、我ら貴族にとっても楽しめそうな遊戯盤ですよ。わたしも何度か試してみたが、簡単そうに見えてなかなか奥が深いゲームだった」

「ほほぉ! それは興味深いな。女子供に受けそうだとなれば、それを贈る騎士や貴族らにとっても手に入れる価値が高いということになる。広い市場を狙えそうではないか」

「そういうことです。他にも次々と、我らには思いもつかぬような発明を披露してくれるので、わたし個人としてもあの子の才能には期待しているのですよ」

「なるほど……なるほどのう。して、それはどのような少年なのだ? さきほど可愛らしいと言っていたが、容姿や背格好などは」

「ははっ、まぁまぁ。大事な婚約者のことをこれ以上勝手に喋ってしまうと、わたしがラルグリートに怒られてしまう。どのみち年明けにはお披露目する予定ですからな。それまでのお楽しみということで」

「なんだ、ケチだのう」

老伯爵はなおもブツブツとこぼしていたが、噂話として語るのに充分なネタは得られたのだろう。会えるのを楽しみにしていると言い置いてまた足早に立ち去っていく。

それを笑顔で見送ったルーフレッドは、その影が見えなくなったところでスッと表情を戻して考え込んだ。

「……ここまでは、我らの読み通り……か」

老伯爵も勘違いしていたように、噂を耳にした者の大半はラルグリートの婚約者が女性だと思っているようだ。しかしあの調子なら少年だという事実が広まるのも早いだろう。
あの伯爵のことだ。どうせユウトの容姿についても「鮮麗の貴公子が選んだ相手なら絶世の美少年に違いない」などと、まるで見てきたような憶測を語り散らすに違いない。
色味や体型を特定できるような情報は与えていないので、おそらく当人とは似ても似つかぬ偶像が祭り上げられるのだろうが……。ともかく異世界人という素性が知られる前に、こちらが優位となるよう話題の骨子を整えておくことこそが肝要。

そのためにはあともう一押し。
ユウト自身が傑物であると知らしめる何かが欲しいものだが……。