とつぜん降ってきたその人は、赤い瞳を輝かせてボクに告げた。
「選ばせてやる。ここで奴らに嬲り殺しにされて死ぬか、それとも、この俺の奴隷となって生き永らえるか。どっちだ」
「え、えっと。なに……なんなの!?」
「時間がない。いますぐ決めろ。死にたいのか、生きたいのか、どっちだ!?」
ボクの顔に影を落とすその人の肩から、銀の髪がサラサラ零れ落ちた。
息が掛かりそうなくらいそばにある白皙の美貌。眼窩で光る紅玉。
正直ちびりそうに怖かったその恐怖心も忘れて、赤い瞳に魅入っちゃったボクは、ほとんど脊髄反射的にそれを答えてた。
「い、生きたいです! 死にたくない」
するとその人はニッと勝ち誇るように笑って「いい子だ」と呟いた。
ドカン、ドカン!と響いていた物音を振り返ったその人は、顔を戻すと、長い腕と大きな手で真正面からボクの体を抱え込んでからヒラッと跳躍した。
「わぁっ」
「しっかりつかまってろ」
短く答えたその足元で、ダダダッと雪崩れ込んできた鎧をまとった集団が勢い余って木の壁にがっちゃんこする。
どこかに飛び乗ったのかと思ったら、ボクたちは宙に浮いたままだった。
そ、空を飛べるの!?
慌ててしがみ付いたボクに眉根を寄せたその人は「怖いなら顔を伏せてろ」と低く呟いて、穴の開いた屋根から飛び出し、空を移動し始めた。
言われたとおり焦げ茶のシャツと黒い肩当てが乗った肩に顔を押し付ける。そのまま飛行して、ようやく降ろされたのは教会のような建物の中だった。
「ここならしばらく凌しのげるだろう。よし、とっとと済ませるぞ」
「え、な、なにを?」
「バカかお前。さっき訊いただろう。俺の奴隷として生きるのかと。お前は生きたいと答えた。ならば奴隷契約をして俺のものという証を刻む」
「ど、奴隷契約?」
そ、そうだった。とっさにそう答えたんだった。
気がつけば廃村みたいな場所にいて。
ここは何処だろうと歩き回ってるうちに、オッサン集団に目を付けられて。
何がなんだかわからずに逃げて、逃げて、かろうじてドアが残ってたボロ屋へ逃げ込んだ。
遠くから「逃がすな」とか「あんな上玉は」とか近づいてくる声を聞いて、もうダメだ!……って思った時、いきなり降ってきた人にそう訊かれたから。
いまさら、気の迷いでした、じゃ……許してもらえない、よね?
奴隷って言葉が、頭の中でぐるぐるした。
しがない現役高校生のボクだってそれが、どんな風に扱われる存在かは知ってる。
ラノベとかによく出てくるし。
でも。
不思議な気持ちだった。
脊髄反射で答えちゃったときと同じ。じっと、理解が追いつくのを待ってくれている宝石みたいに綺麗な赤が、有無を言わさない強い眼差しでボクを魅了する。
この人だったらいいか。そんな風に思えたんだ。
「は……はい」
喉に張り付く声で答えたら大きな手がクシャッと髪を撫ぜた。
その手が腰帯の右側に差していた小さなナイフのようなものを引き抜いて、手元でくるっと回し、もう一方の手でボクの右手を持ち上げて手渡す。
「なら、これで自分の手の平を傷つけて、血を滲ませてからこの呪印に重ねろ」
そう言って示されたのは、彼の左手の甲で輝いていた緋色の丸い模様。
何となく魔法陣みたいな複雑な形状をした呪印だった。
おそるおそるナイフを右手で握って、左の手の平へと押し当てる。
すっごく怖かった。
生まれてこのかた、自分で自分の手を傷つけるなんてしたことない。
ボクは予防接種とか採血だって、怖くて見られない派だったし。
でも、この時だけはなぜか、やらなきゃって使命感みたいな気持ちが強かった。
「う~~~~……いった!」
ぷるぷる震えたナイフの先が、えいや!って突き刺さる。
ジンジンとする傷からぽつっと血が滲んだ。
ほとんど涙目で見上げると、赤い目が瞬きだけでうなずく。
震えながら差し出されていた呪印に血を重ねると。
突然、触れ合わせた傷口から、火傷するかと思うような熱が腕を駆け上がって、たちまち全身へと燃え広がった。
「あ、あっつ、熱い! ああああああっ」
反射的に逃げかけた体を、すかさず伸びた腕がガッチリと抱え込む。
手も吸い付いたみたいに呪印から離れなかった。
まるで内側から炙られてるみたいなものすごい熱。
悲鳴が止められず、もがいていたボクの手の甲に、紫色の呪印が浮かび上がった。
彼の手の模様と似てるけど、それを白黒反転させたみたいな模様だった。
模様がピカッと光ったのと同時に燃えるような熱さがすうっと収まっていって、へにゃっと全身の力が抜ける。
へたり込みそうになったボクを支えていた腕が、すっとお尻の下へと回り込んで、ちっちゃい子でも抱き上げるみたいにひょいと抱え上げた。
「わっ! な、なに」
「契約の直後は、力が入らなくなるらしいからな」
確かに全身がだるかった。
足も手もぷるぷるして、関節が痛くて、あんなに熱かったのに寒気を感じてる。
これってあれだ。風邪を引いた時の熱の上がり始めみたいな。
ボクよりも頭ひとつ半くらい背が高くて綺麗な筋肉に覆われたその人の腕は、平均的な男子高校生……よりはだいぶちっさいボクを持ち上げててもビクともしない。
大きな手に回収されたナイフがくるっ、スタッて感じにまた腰帯へ収まって、気付いたら手の平の傷が消えてた。
両手で首元につかまると、ボクのご主人さまとなった人は、そのままスタスタ歩き出しながら言った。
「これでお前は俺の奴隷だ。身も心も生も死もすべて俺のものになった。俺の命令には絶対服従。逆らうことは一切許さん。逆らえばこの呪印が苦痛を与える。わかったな?」
「は、はい」
「その代わり、お前の身の安全は保障してやる。飯も、服も、寝る場所も用意してやるし、危険な目にあわないよう俺が守ってやる」
この時ボクが思ったのは(それって奴隷なの?)ってことだった。
なんか奴隷って名目で守ってくれるって言ってるみたいな。そういう響きだったんだ。
「ところで訊くのを忘れていたが、お前、名は?」
「あ。えっとボクは、日下部 悠人です」
「クサカベユウト? 妙な名だな」
「ゆ、悠人が名前で、日下部が姓」
「ふん、ユウト・クサカベか。ならばユウトと呼ぼう。俺はラルグリート・フォン・マルベスカ。ラルグでいい。隣のフルノーム領の領主の息子だ」
「りょ、領主さまの息子!?」
それをきいて、急展開すぎて考えないようにしてた状況を思い出した。
さっきから、というかだいぶ前から薄々と思ってたけど。や、やっぱりボクって、異世界へ転移とかしちゃってる? そういうことだよね、これって?
だってここが日本なら「領主」なんて言葉出てこないし。
建物とか風景とか、襲ってきた鎧のオッサンたちとか、この人の容姿とか。
何となくヨーロッパっぽいけど、呪印を使って奴隷契約したり、空を飛ぶなんてそんな魔法みたいなこと、ボクの知ってた現実世界じゃありえないし。
本当なら大パニックするはずなんだけど、あまりにも漫画とかラノベで読んでた展開すぎて、妙にストンと納得しちゃってるのが不思議な感じだった。
けど、領主の息子の奴隷って。
もしかしてボク、結構ヤバイめのポジにいるってことじゃないのかな。
この人は良い人っぽいけど。
ラノベ的な展開だとほら、お屋敷に着いたとたん領主さまに反対されて追い出されるとか、怖いお兄さんとか出てきて「お前がたぶらかしたのか!」って怒鳴られるとか、奴隷の立場を弁えろって頭を踏まれるとか。
じんわりと汗が滲むのを感じながら、そういえばと思って顔をあげた。
「あ、あの、ラルグ……さま?」
「なんだ」
「奴隷って、ボクは、何をすればいいのでしょう、か」
月明かりだけの薄暗い坂道を下りていきながら、チラッと視線を向けたラルグさまは、足は止めずに前を向いたままボソッと答えた。
「夜伽だ」
「よとぎ?」
ってなんだっけ??
聞いたことあるような、無いような。ええっと。
盛大にクエスチョンマークをくっつけたボクの顔をみてまた眉を寄せたラルグさまは、ぱたと立ち止まって、片手をボクの頬に添えて自分のほうを向かせた。
抱えられてるせいで目線より下にある赤い瞳に吸い寄せられる。
全体的にめちゃくちゃ繊細に整った綺麗な顔なんだけど、ボクにはその瞳がなによりも印象的で。
すっと近づいたかと思うと、温かいものがボクの唇を塞いだ。
「んんっ!?」
思わず背けようとした顔を、頬に添えられてた手が引き戻す。
こ、これってキ、キ、キスだよね?
男のボクに、領主さまの息子、男の人が。
え、え、ちょっとまって。つまり奴隷って、そっちの~~~~~っ!?
異世界に転移してるかもって思った時以上にパニクったものの。
苦しくなって開いた口に潜り込んできた舌先が上あごの内側をなぞったとたん、ゾクッと震えのようなものが走って、怠かった体からさらに力が抜けた。
ど、どうしよう。
男の人とキスなんて変なはずなのに。
なんか………………きもちいい……。
だって、だって、童貞彼女いない歴イコール年齢なボクでも分かる。
この人めっちゃ上手い。
強引で温かい舌が、歯茎のとことかあごの内側とか舐め嬲る。
優しく舌先を絡めて吸い上げる。
だんだんと息があがって、気づけばボクまで夢中で応えるようになってた。
こ、これ……は。
「分かったか?」
たぶん5分くらい続いた口づけのあと。
はぁはぁと息をしていたボクの目を見つめながらラルグさまは言った。
「お前の仕事は性処理の相手だ。それ以外はべつに自由にして構わない。だが俺が命じた時には、つべこべ言わずに大人しく体を開け。いいな?」
「………………」
「ユウト。返事はどうした?」
「あ……は、はい」
再びスタスタ歩き出したラルグさまの肩にすがりながら、ボクは震えてた。
何もかもが怖かった。
見知らぬ世界。そこへ突然放り出された自分。
この先どうなってしまうんだろうという不安ももちろんあったけど。
ボクがなにより怖かったのは、いきなり堕ちてしまった性奴隷という立場じゃなくて、この人がくれる快感にハマりそうになっている自分、だったんだ。

