「ごめん。隠しておきたかった事かもしんねぇけど。あいつが……小林が言ってたんだ。あんたはSubが産んだ婚外子だった、っての」
「そう……か……」
胸につかえたままになっていた不安。
もっとも古い心の傷。
それを澄生の側から暴いてくれたことに、なぜかホッとしたような居たたまれないような、そんな複雑な思いで裕司は頷いた。
「……君のいう通り。わたしは、父が幾人か囲っていたSub女性のうちのひとりから生まれたんだ。ただし、産みの母親は産まれる前に亡くなっていて、戸籍上は育ての母親が産んだ嫡出児という扱いになっているけれどね」
「産まれる前!? って……」
「産みの母はもともと正妻に対して引け目を感じていて……何しろ育ての母親のほうも姉を産んだばかりだったから、いろいろとね。そうでなくとも妊娠中はなにかと不安になるし。父は産まれたばかりの女の子に夢中で、Sub女性たちとは、少しのあいだ疎遠になっていたんだ」
「え、まさか」
「ああ。Sub dropと陣痛が重なって極度のパニック状態になり、病院に運ばれた時には亡くなっていたそうだ。だから瀕死の状態で産まれたわたしは、一度も母とは対面できていない」
「………………」
二の句が継げず黙り込んだ澄生に、裕司は儚く微笑んだ。
「育ての母親は、最初こそ不快感を示したそうだけど、産まれたばかりの赤ん坊を放っておけるひとじゃなかったから、先に生まれた姉と共に双子のように育ててくれた。父もね、決して悪いひとではないんだ。母を死なせてしまったことをとても悔やんで、Domとして発現したわたしにも同じ轍は踏むなと言い聞かせてくれたものだよ。山峰の家族に問題や不満があるわけではないんだ。……だが」
頬を包んだままだった澄生の手に片手を添えて柔らかく握る。
自身のダイナミクス性が明らかになった当時から、ずっと負い目に感じていたこと。
「6つ上の兄だけは心穏やかとはいかなかった。ちょうど一番多感な時期にそれが起きているから、母親を蔑ろにされたように感じたんだろうな」
「まぁ、だろうなぁ」
「それに兄は、どちらかといえば一般的に抱かれがちなDomイメージそのものなひとなんだ。父の奴隷の子という点に嫌悪感を抱いていたうえ、わたしがSSランクだと分かって、ますます毛嫌いするようになってしまって」
「あ~~~~~……」
「ちょうどその頃だ。わたしが癒し系だと言われるようになったのは。母のような、悲しい死に方はさせたくないと……強く思うようになった」
仕方がないことだと分かっていても胸を塞ぎ続けた思い。
取り立てて高慢というわけではない兄も、成人後はそれなりに裕司を認めているものの、長年ぎこちなかった関係性がそう簡単に改善されるわけはない。そして根っこにあるその蟠りが、裕司が「Sub dropにさせまい」とどうしても拘ってしまう要因となっているのは間違いなかった。
しばらく無言でいた澄生は、やがて「ああ」と呟いて目をくるりとさせた。
「……ひょっとして、医者になったのもそのせい? 兄貴の地位を脅かす存在にはならねぇようにって?」
「ああ」
「んじゃ、結果オーライじゃん!」
握られていた手をするりと返して握り返した澄生は、さらにもう片手を添えてぶんぶんと振りまわしながら、あっけらかんと笑った。
重い話題をふっていた自覚のある裕司は、呆気に取られて澄生を見返す。
澄生は、両手でつかんだ手をグイと引いて裕司の唇にキスをすると、片腕で肩を抱き寄せるようにしながらニコニコと言った。
「兄貴のことはしゃあねぇよ。あんた自身にどうすることも出来ねぇ事柄なんだし。亡くなったお袋さんのことも……まぁ……感情論じゃ済まねぇ話なんだろうけど」
「………………」
「あんた、そういうひとを増やさないために専門医になろうとしてんだろ? しかもその夢すでに実現し掛けてんじゃん!」
ケラケラっと笑った澄生は、次に真剣な顔でジ~~っと瞳を覗き込むようにして続けた。
「オレは死なないよ。裕司さん」
「……っ」
「なんつったって、超一流のDomでダイナミクス専門家であるあんたがパートナーなんだ。これ以上の保障がどこにあるってんだよ?」
大きく見開いた裕司の瞳から、ほろりと雫が零れ落ちた。
慌てて片手で顔を覆ったその肩をクスリと笑った澄生が抱き締める。
触れ合う頬の滑らかな肌。背を包む腕。
力強く拍動する確かな鼓動が、温もりが……心の底にあった最後の不安を溶かしていく気がした。
(本当に……敵わない……)
これまでに裕司の知るSubはみな命令を待つ存在だった。
Domが支配し、躾け、導く。
そうすることでSubが幸福感を覚え、支配されることに喜びを得る。
互いの立場は対等と言葉ではいうものの、やはりそこには「与える者」と「与えられる者」という歴然とした力関係がある……と、心のどこかでは思っていたのだ。
だが澄生と出会ってその考えは覆された。
彼は待つだけでなく、時には諭し、時には癒して、強すぎる力に戸惑う裕司を奮い立たせる存在であろうとしてくれている。
Domとしての矜持や烈しさも、恋人としての嫉妬も独占欲も、そしてひとりの人間としての弱さや辛さや悲しみもすべて曝け出してなお「愛している」と受け止めてくれる。本当の意味での『対等』だった。
こんな理想的なパートナーなど、本当に…………どこにもいない。
止まらない涙を拭いつつ、裕司は間近で瞬く瞳を見つめ直した。
「―――……澄生……愛してっ……る」
「……うん、オレも。愛してるよ。裕司さん」
「改めて……訊かせてくれ。ずっと……わたしの、Subでいてくれるかい?」
「当然だろ?」
ありがとうと胸の内で呟いて、裕司はバッグから小箱を取り出した。
黒に赤いリボンで装飾された箱に入っていたのはもちろん首輪だ。
直径3ミリほどの太さがあるサージカルステンレス製のワックスコード。
指二本分ほど余裕を持たせたチョーカータイプのそれのネジ式の留め金は純金。前中央にも洒落た「Amour」の装飾文字が彫られた筒状の金のデコレーションが施されている。
むろんオーダーメイドで作られた一点物の高級品だ。
「えっらい豪華な首輪だなぁ」
二度目となる儀式に照れた澄生が茶化すように言う。
そしてなぜか奇妙な躊躇い顔を見せてから、ゴソゴソと床頭台の下の扉を開けて貴重品をまとめた手鞄を取り出した。
何だろうと見おろしていると、澄生が取り出したのは白い小箱に入ったベロア素材のリングケース。照れくさそうな顔で差し出されたケースに入っていたのは、両縁に金の装飾が施されたシンプルなプラチナの指輪だった。
「お……オレもさっ、あんたがすでに占有済みだって……示しておきたくって。あんた外科医じゃないから、外さずいつも付けててくれるかなって」
「ああ…………嬉しい……よ……」
照れた顔のまま自ら左薬指に嵌めてくれた澄生を、震える腕で抱き締めた。
澄生はいったいどれだけ自分を泣かせれば気が済むのか。
幼少期にすらこれほど泣いた覚えがない。
しかも、普段あっけらかんとした澄生が初めて示してくれた独占欲が嬉し過ぎて涙が止められないなど、なんの青春ドラマだと笑いだしたくなる。
けれど決して不快な気持ちではなかった。
ひと粒の涙が零れ落ちていくたびに、心が軽くなっていく気がする。
耳元でくすくすと、そんな裕司が可愛いと笑う澄生の声がたまらなく心地よい。
彼の前ではなにも虚勢を張らずに居られる。
幸せすぎて、今度は失うことが怖くなってしまいそうだ……と裕司は苦笑した。
「あ。そうだ、それでさ裕司さん」
まるでそんな裕司の内心を見透かしたように、ポンと背中を叩いた澄生は言う。
床頭台の中から引っ張り出したタオルで、すっかり火照ってしまった裕司の泣き腫らした顔を拭いながら、何でもないことのように続けた。
「オレの退院、来週の火曜日になったんだけど」
「ああうん」
「自宅療養中、あんたのマンションに居座ってもいい?」
「……!」
「いやほら、オレいちおう怪我人だし? なんかあった場合に医者のあんたが居てくれるほうが安心だからさ。あんたの秘書さんがオレの部屋用意できてるって言ってたし。あ、ついでに、ひまつぶしにコレ買ってくれるとあいつらにも面目が立って助かるんだけど」
生徒たちが置いていったゲーム雑誌を指さして「てへっ」という風に悪戯っぽく笑った澄生を、裕司は再び強く抱きしめた。
澄生はちゃんと裕司の不安を汲み取ってくれている。
確かに、その後は遠距離での生活になるにせよ、最初の蜜月を共に過ごせるならパートナーとしての実感もわき、以降の安心感が段違いとなるのは間違いない。
彼は本当に、どこまでも最良のパートナーだった。
それから数年後。
大学時代の恩師らとともに行った共同研究で博士論文を提出した裕司は、世界発となるダイナミクス専門の医学博士としてクリニックを開業した。
そのパートナーである澄生も、ダイナミクスに理解のある高校教師としてちょっとした茶の間の人気者となり、時おりSubのコメンテーターとして意見を求められるまでになった。
むろんそこへ至るまでに、そしてその後にも様々なドラマがあるわけだが……。
そんなアレコレの物語は、また後日。(ゝω・) テヘペロ
《終わり》

