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#21 君に相応しくあるために

Dom/Sub専門医、始めました♪

遠くから外来の喧騒が聞こえる廊下に、スタスタと軽い靴音が響く。
白衣のポケットに手を突っ込んだまま長椅子の隣に腰を下ろした鈴木医師は、横目で裕司の顔を一瞥してから、左上を見あげてポツリと呟いた。

「まだオペ中か……」

見上げた先にある表示灯はまだ赤く点灯していた。
手術室に運び込まれてからすでに1時間半ほどが過ぎた。広背筋の半ばから斜めに入った刺し傷で、幸い心臓や肝臓といった臓器や大きな血管に損傷はない。刺したのがセレーションのついたナイフだったため切断面が荒れて縫合には手間取るものの、命に関わるというほどの重傷でもなかった。

普段であれば、それらの状態が確認できた時点で冷静さを取り戻していただろう。
しかし鈴木の前で項垂れる裕司は手術開始直後からそこを動いておらず、共に学んだ大学時代から一度も見たことがないほどに憔悴した顔つきをしていた。

しばらくして、黙り込んだままだった裕司が籠るような声でボソリと呟いた。

「……っそ……閉じ込めておけたら、と……」

「あん?」

「何度……思ったかしれない。あの男が野放しにされているうちは、何らかの報復を受ける可能性があると……予想できたのに……」

「しょうがねぇって。おれらは探偵でも刑事でもないんだ。んなとこまで気が回らなくたって仕方がねぇよ」

「そのうえ、傷を負った澄生がとめてくれなければ、見ず知らずの人々にまで、被害を及ぼすところだった。わたしは…………わたしの力が、強すぎるせいで……」

「あ~~~~~~まぁ……なぁ……」

裕司が起こしたDefenceディフェンスによって病院に担ぎ込まれた患者は6人。幸い一時的な虚脱に陥っただけで、回復後すぐに元気に歩いて帰宅している。
拉致の被害者である門田だけが、Subということもあり念のため数日入院することにはなったが、診察時に裕司がケアをしているので深刻な精神ダメージには至らなかった。

そして本来ならダイナミクスの加害者となるはずのところも、居合わせた刑事が澄生が刺された場面を目撃しているので、自分のSubを守ろうとするDomの止むを得ない反応だったとしてお咎めなしとなっている。
つまり、それそのものは大した問題にはなっていないのだ。

裕司の憔悴の原因はひとえに、澄生に大怪我をさせてしまったことだった。
失血で青ざめた顔がどうしても夢の中の光景と重なってしまう。
医者の頭で大丈夫だと理解していても、もしこのまま澄生が目を覚まさなかったらという堂々巡りな思いが、思考を空回りさせていた。

鬱々と考え込んでいるうちに頭上のランプが消えた。
俯いていた裕司は、自動ドアの向こうが賑やかになったことでようやくそれに気づいて顔をあげる。ハッと立ち上がった裕司の元へ執刀していた中年医師が歩み寄ってきた。
憔悴した裕司の様子に苦笑した中年医師は、隣にいた鈴木にチラと視線を向けてから世間話のような口調で言った。

「鍛えられた体をしているし、心配していたほど筋肉に損傷はなかったからすぐ回復できるだろう。せいぜい2週間かそこらの入院で、あとは自宅療養といったところか」

「そう、ですか……」

「むしろ君の顔色のほうが深刻だな。気持ちは分かるが、Domの君が消沈してしまってはパートナーの彼にも影響してしまうぞ? 専門家の君にあえて言うことでもないだろうがね」

「ええ……分かってます……」

ポンポンと肩を叩いた中年医師の背後を、うつ伏せに横たわった澄生が通りかかった。
掛けられた薄手の布団の下、幾つもの管が繋がった姿が何とも痛々しい。まだ麻酔から覚めたばかりでウトウトと視線を彷徨わせている。
それでも沈んだ気配を感じてだろうか、立ち尽くす裕司をチラリと見上げ、すぐに吹きだすように苦笑した。

「……だいじょぶって、いったろ?」

「澄生」

「偉い先生たちも大丈夫って言ってんだからさ。そんな落ち込むなって」

澄生は柵の間から手を伸ばし、見下ろす裕司の指先を握った。
ベッドを押していた看護師たちが、泣きだしそうに歪めた裕司の顔と澄生を物珍しげに見比べ、傍らにいた医師らも苦笑する。奇妙に生じた沈黙をやがて掠れた声が破った。

「それよか……裕司さん。オレの学校にさ、採用したてなのに……休んですいませんって、謝っといてくれる?」

裕司はハッと目を見開いた。
そうだ。澄生は念願だった教師として働き始めたばかり。そんな時期に少なく見積もっても3週間ほどは掛かる療養を続ければ当たり前に職を失うことになる。
再び押し寄せた罪悪感に顔を歪めた裕司に、しかし澄生は不敵な笑みを浮かべてみせた。

「心配すんなって。学校には……迷惑かけちまうけど。オレはこんなことくらいじゃ負けねぇ。なんたって最強Domさまの相方なんだぜ? そんじょそこらじゃ凹まねぇよ」

「すみ……お……」

「オレにとっちゃ、あんたがそうやって、何でもすべて自分のせいみたいなツラしてメソメソしてることの方が、よっぽど痛手だよ。なぁ? 言っただろ? オレをもっと信用してくれって」

「……っ、すまない」

「んじゃ、落ち込むのはそこまでな? 悪いけど、いろいろ手配……頼むわ」

「ああ」

指先をギュッと握り、再びニッと笑った澄生を乗せてベッドが去っていく。
共にそれを見送っていた鈴木が、腰に両手を当てて「へぇ~」と感心したように呟いた。

「あれが最強Domのパートナーか。なるほどな」

「鈴木」

「んな情けない顔でやり込められるお前なんて、初めてみたぞ? やっぱ、あんくらい言える奴じゃないと務まらないってことなんだな~。さすが、お前が惚れるだけあるよ」

「…………ああ。本当に……」

澄生の前では最強Domも形無しだ。
いったい何度、あの懐深い人柄に救われたかしれない。
全力で受け止めるからぶつかって来いと言えるだけの逞しさ。パートナーの彼にあれだけの発破を掛けられて、自分がいつまでもへこたれてなど居られないではないか。

先ほどまでの鬱々が嘘のように晴れ渡っていく。

もう、澄生を失ってしまうのではという愚かな幻想は消えていた。
本当にダイナミクスというのは不思議なものだ。誰よりも、何よりも、パートナーとの絆を実感できることが、これほど効果抜群の薬となるのだから。

(澄生。何よりも……君に相応しいDomであるために……)

ポンと肩を叩いた鈴木に頷いて裕司は、自らのすべきことを果たすべく無機質な廊下を颯爽と歩き出した。