「……っ! ……けど、それじゃ……!」
ハッと顔をあげた澄生に「うん」と苦笑する。
「追いかけてくれようという君の気持ちは嬉しいけれどね。その選択をすれば後悔することになると思う。であるならまず、君が教師を続けると決めたうえで、離れる年月をどう埋めるかと考えるほうが得策じゃないかな?」
「やっぱ裕司さんは、都内の病院に行っちゃうんだよね?」
「ああ。専門医の認定を得るためには、最低でも3度の論文提出と学術発表が必要となるし、診療件数も症例もあちらのほうがダントツに多いからね。教授方に顔を売っておく意味でも、向こう何年かは都内の病院に勤めるべきだろうと考えている」
「……そっか……そうだよな」
「問題はその後と、間をどうするかだが」
ぽとりと再び沈黙が落ちた。
指先を握っていた手が開き、手の平を重ねるようにしてから握り直す。
無表情に形作った顔に反して指先は小刻みに震えていた。
「澄生、それを言う前に……確認しておきたい」
「うん」
「―――君の……生涯を、わたしに捧げてくれるだろうか?」
Domが契約に際してSubに贈る、定番のプロポーズの言葉。
少し早いタイミングとはなったが、近々言われるだろうと思っていたセリフだった。
「答えは、分かってるんじゃねぇの?」
照れくさくてついからかい口調で返すと、裕司は面映ゆげに目を細めた。
「うん。だがやはり、君の言葉でききたい」
「もちろんだよ裕司さん。オレの身体はもう……あんたの支配じゃなきゃ満足できなくなってんだからさ。責任もって最期まで、あんたのモノでいさせてよ」
「ああ……ありがとう」
スッと重なった唇が吐息を塞ぐ。
3呼吸分ほどで終わったキスのあとで、懐のポケットに手を入れた裕司は、そこから手の平ほどのベロアの巾着袋を取り出した。
無言で差しだされたそれを開けてみると、入っていたのは1センチほどの幅の黒いチョーカーだった。薄革でシンプルな造りだが、リボンの前部分に太陽のような形をした小さなチャームが下がっている。
「これって……!」
デパートの雑貨店で見掛けるような安価なアクセサリーだ。おそらく帰宅途中に買い求めたものだろう。慌ててそれを用意した裕司の意図は明らかだった。
頷いてチョーカーをとりあげた裕司は、自らそれを澄生の首へと装着した。
「正式なものは発注になるから後日渡すけれど。今日のようなことがあった場合の精神安定剤代わりにもね。ひとまず着けていて欲しい」
「うん! なんか……すっげぇ嬉しい!」
首輪を渡されて初めて、SubはそのDomの伴侶として認められる。
これがあれば、恋敵の誰に問われても自分が裕司のものだと堂々と宣言できるのだ。そして彼以外のDomに干渉されないための牽制でもあった。
指先で下がったチャームに触れながら、その実感を噛みしめていると「それでね」と呟いた裕司は、ソファの上へりに片腕を伸べて肩を抱くようにしながら続けた。
「さきほどの話の続きだけど」
「うん」
「都内のわたしのマンションに君の部屋を用意する。専用の口座に毎月充分な交際費を振り込んでおくし、山峰の系列もすべて親族として利用可能なようにしておくから……」
「毎週せっせと会いに来いって?」
話のオチが見えて先回りして答えると、裕司は吹きだすように苦笑した。
「毎週じゃなくていいけど、君が会いたいと思ってくれた時にね。自分の家だと思って気軽に訪ねて欲しい。何年ものあいだ君に移動の手間を掛けさせてしまうことにはなるけど」
「そんなの全然苦になんないよ。会えないことに比べたらさ!」
ようは単身赴任中の夫婦のようなものだろう。
幸いにして都内までは特急を使えば1時間半ほどの距離だ。金を気にせず飛び乗れるなら今現在の距離感とさほど変わらない。しかも自分が山峰家の一員として扱われるうえ、潤沢な小遣いつき。こんな気前のいい話がそうそうあるだろうか?
そのすべてが、澄生を不安定にさせないためだけに用意されるのであれば、溺愛されすぎて逆に怖くなってしまいそうなほどだ。
「いずれわたしは、こちらへ戻って、ダイナミクス専門のクリニックを開業するつもりだよ」
「へぇ……っ!」
「そうしたら一緒に暮らそう。それまで、待っていてくれるかい?」
「うん、もちろん!」
あと3週間で裕司はここを去ってしまうけれど。
将来の展望や、間の空白を埋めるための努力はちゃんと目に見える形で示してくれた。
だからもう澄生には、この先の未来を憂う理由はなかった。

