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#17 疲れた心をケアしよう

Dom/Sub専門医、始めました♪

いつも通りに帰宅し、笑顔で出迎えた母親の手料理を囲んでの夕食。
テーブルを囲んでいたのは両親と、花嫁修業中の2つ上の姉と大学に通う3つ下の弟だ。武田家は今どき珍しいほどの円満家庭で、じゃれ合い程度の喧嘩はするものの、誰ひとり大病をすることもグレることもなく平穏そのものだった。

一度それを裕司に話した時には「羨ましい」と繰り返されたものだが、澄生にとっては当たり前の環境で、ドラマで見るようなお家騒動など想像がつかないというのが本心だ。
ただ、この日ばかりは気持ちがざらついていた。

賑やかな夕食の団欒も上の空。蘇ってしまった記憶にぐらぐらと心が揺れる。
裕司に会って一刻もはやくこの不快感を消し去りたい。
そう思いながら出掛ける仕度を急ぐ。

いつもなら徒歩5分ほどの駅から電車で向かうのだが、さすがに道中の喧騒に堪えられる自信がなかった。やむなく自宅からタクシーを呼んで飛び乗った。

オートロックの玄関で教えられた暗証番号を打ち込んでドアを開ける。
いつものように靴を揃えて立ち上がり、家主に声を掛けようと振り返ったところで、リビングの入口に立つ裕司に気付いて目を見開いた。

「れ? 裕司さん?」

きょとんとした澄生に向け、眉根を寄せた裕司がちょいと指を折った。

「《おいでCome》」

「……っ」

一瞬で意識を絡め取られ、気づけば力強い腕の中だった。
澄生を横抱きにしたままソファに身を落ち着けた裕司は、柔らかな波動に包んでくれながら、ゆっくりと髪を梳る。その仕草がまた8年前の風景を思い出させた。
だが今度の記憶は、温かくて眠気を誘う、泣きたくなるほどに優しい癒しのGlareだ。

半ば強制的に不快感が押し流され、そのままSub spaceに入り込んだ澄生に、ジッと見おろす裕司が穏やかな口調で訊ねてきた。

「ダイナミクスがひどく乱れている。何があったんだい?」

「え~~~~……っと……」

「《言ってSay》。不安に思ってること、すべて」

言い訳を考える暇もあらばこそ、逃げを打つ心の退路を塞がれる。
そうして、教頭から依頼された中途採用の話も含め、日中に起きた出来事を語って聞かせた澄生に、黙って最後まで聞いていた裕司は「《分かったOkay》」と小さく頷いた。

「そうか……あの彼がね……」

そう呟いたきり澄生の髪を撫ぜながらジッと考え込む。
トラウマとなった男のコマンドに抗った影響で消耗していた澄生は、凭れかかった首元から響く鼓動と温もりにたちまち眠りへと誘われていた。

時間にすればほんの5分、10分という短い転寝うたたねだったのだろう。
浅い眠りを呼び覚ましたのは、頭の上から聞こえてくる淡々とした声だった。

「ああ。早急に調べてみて欲しいんだ。―――……いや、いまの時点ではわたし自身の判断材料といったところかな。具体的に何かをする予定はないんだが。……ああ……ああ……それでいいよ。じゃあ、よろしく頼む」

耳に当てていたスマートフォンに目を落とし通話を切る。
その途中で目覚めていた澄生に気付いた裕司は、ふっと微笑んで額にキスを落とした。

「すまない、起こしたね。そのまま眠ってても良かったんだが」

「ん、けど……裕司さん、話があるって言ってなかった?」

「急ぐ話でもないから、明日の朝で構わないさ」

裕司は身を乗り出してテーブルに端末を置き、またさらさらと髪を梳る。
そこでようやく自分の体勢に気付いた澄生は「うわっ」と呟いて、慌てて裕司の腕から身を起こした。

「はっず! この歳でお姫さま抱っことかっ」

「今さらだろう」

「そ~だけどっ! プレイ中と今とじゃ恥ずかしさの度合いが違うんだよっ!」

「ははっ。それだけ元気なら、もう大丈夫そうだね」

「……あ…………うん。……ありがと」

思わず赤面しながらの礼に、裕司は黙ってニコリと笑う。
さすがというべきだろうか。
何も言わずとも、澄生が不安症状を起こしていることを察してケアしてくれたのだ。つくづくと頼りがいのあるDomだった。

裕司の隣に座り直した澄生は、テーブルのスマートフォンを見遣って問い掛けた。

「なぁ。いまの電話なんだったの?」

「さっき話していた小林という男について、知人に身辺調査を依頼したんだよ」

「へ?? なんでそんなことを?」

「わたしにとっての最優先は君の不安を取り除くこと。Sub dropに陥らせないことだから。けれどわたしは刑事じゃないからね」

組んだ膝のうえに重ねた指先が、トントンと不規則な拍子を刻む。

「彼が荒むことになった原因にわたしも無関係とは言えない。もし彼の現状が医者わたしに介入可能なもので、Domとして更生を促すことができるなら、結果的に君の不安も取り除かれて一石二鳥……いや三鳥が狙えるんじゃないかと思ったんだ」

「―――あんたほんっと、根っからの医者だな!」

澄生は思わず声をあげて笑いだしてしまった。
普通のDomならば、小林を敵とみなして排除を試みるか、澄生を囲い込んで守ろうとするところだろう。相手方を癒すことで問題解決を図ろうと考えるのは裕司ならではだ。
彼は本当に優しくて、Subでなくとも囚われたくなってしまうひとだった。

「あ~~~~~~ほんっと……好きすぎる」

肩に頭を凭せかけると、裕司はクスリと笑ってその頭に頬を寄せてくる。
普段の優しい雰囲気に反して彼は、自分自身の感情を表現する場面が乏しく、人目がある場所ではほとんど甘えるような素振りは見せない。これも澄生限定の愛情表現だった。
しばらく温もりを共有してから、彼はぽつりと呟いた。

「やはり手放しがたいな」

「ん?」

「どうしても……そばに置いておきたいと思ってしまう」

「………………」

「だけどわたしは、君の伸び伸びとした姿を奪いたくもないんだ」

膝に乗っていた裕司の手が、ソファについていた澄生の指先を捉える。
それを軽く握ったまま沈黙した裕司は、さらに数分のあいだ虚空を睨んでから、思い切るように少し辛そうな瞳で笑った。

「君は、いまのまま教師を続けるべきだよ」