それを指摘されてようやく、なぜ裕司が前提の話から始めたのかに気付かされた宮内は、気勢をそがれた様子で呆然としながら頷く。
「つまり彼は、時々お仕置きという形での痛みが与えられていれば、普段は、お互いが心地よいソフトなプレイであっても構わないわけですね」
だがこの言葉に彼女は、キュッと結んだ口にこぶしを当て、まるで叱られるのを恐れる生徒のような上目遣いで裕司を見つめた。
「け、けど……わたし、コマンドそのものにも……すごく抵抗感があって」
「ほう。それはなぜ?」
「だって《おいで》とか《見て》とかはいいですけど、《お座り》とか《這え》とか《舐めろ》とかって、ほ、ほんとに奴隷みたいだし」
「そうとも限りませんよ?」
「え?」
「コマンドとして一般的な単語は犬の躾けに使われるものが多いので、人に当てはめればどうしてもSM的な解釈をされがちですが。あくまでも指示のための記号に過ぎませんからね。奴隷のように扱うことに抵抗があるなら、その意味を変えてしまえばいいのです」
「どうやってですか?」
「たとえば……そうですね。お2人の関係性であれば、お姫さまと騎士といった感じのロールプレイも良いでしょうか。―――実際にお見せしたほうが早いかな?」
「え??」
キョトンとした宮内と笹田に微笑んで、裕司は澄生を振り返った。
視界の端に首を傾げる門田の表情が映る。
ここでこれを実行するのは賭けかもしれない。
だが、どのみち裕司にとってのパートナーは澄生以外にあり得ない。
少女の求愛に応えることはできないのだから。
「武田先生」
「はい?」
「少々ご協力いただけますか? お願いできそうなSubが他にいませんので」
「え、ここで!? ……か、構いませんけど……」
チラと隣の門田に目を向けた澄生は、覚悟を決めるような表情を見せてから頷く。
間に挟まれて不思議そうに成り行きを見ていた門田のほうも、何がしかの雰囲気を感じとってか、澄生の顔をジッと見つめた。
「宮内さん、よく見ていてくださいね?」
「あ、はい」
「コマンドを使って、こういうこともできるんです」
澄生の瞳の奥を見通すように、指向性を持たせたGlareを放つ。
ふっと、澄生の顔付きが変わった。
普段のどこか悪戯っぽい表情とも、顧問教師としての畏まった態度とも違う。強いていうなら艶めかしい……恍惚としか表現のしようがない表情だ。
「澄生、《おいで》」
ふわりと不思議な微笑みと共に立ちあがった澄生は、ゆっくりと裕司の元まで歩み寄ってくる。
目の前まで辿りついた青年に向け、裕司は続けて足元を指さした。
「《跪いて》」
裕司の命令に澄生はスッと身を屈める。
だがここで、その姿を目で追っていた3人は軽く息を飲んだ。
たいていの場合「Kneel」といえば、土下座や、犬猫のように手足を揃えたお座りを想像する。しかし澄生が取ったのは片膝をついて頭を下げる拝礼の姿勢だったのだ。
だがこれも間違いなく、コマンド通りの「跪く」姿だ。
「《口づけ》」
そして差しだされた手を見つめ、片手で指先を握って甲に口づける。
まるで王侯貴族にするように優雅に。
ふふと笑った裕司は、返す手で顎を掬いあげて額にそっとキスを落とした。
「よくわたしの指示が分かったね。《いい子だ》」
先ほどまでどこか不安げな様子でいた顔が、さも誇らしげな表情へと変わる。
胸を満たす充足感と共に、裕司の顔にも自然と笑みが零れていた。
これで何度目だろう?
おそらく澄生は、直前の会話からこの行動を連想したのだろうが。
言葉で明確な指示をしたわけでもないのに、時おりまるでテレパシーでも使っていたかと思うほど正確に裕司の命令を実行してみせるのだ。
他の誰もこうはならない。やはり澄生だけが裕司にとっての特別だった。
「ありがとうございます、武田先生。もう席に戻って頂いても構いません」
「あ、はい」
場の雰囲気を戻すために口調を変えて肩を叩くと、パチパチッと我に返ったような瞬きをして澄生は立ち上がった。
えへへと照れたように頭を搔きながら席に戻った澄生の横で、いつのまにか上気した笑顔を浮かべていた宮内が「なるほど!」と声をあげる。
「さすが山峰先生! なんだか中世の貴族みたいで素敵でしたっ! そっか、そういう風にコマンドを使えばいいんですねっ!?」
「ええ。あとはお2人の創意工夫次第でしょうが。こうしたごっこ遊びのような形なら、笹田さんの側も抵抗なく受け入れられるのではありませんか?」
「は……はい!」
「ああ~~~~やだもうっ! 目から鱗って、こういうことを言うんですね! わたし何でこんな単純なことが分からなかったんだろっ。無知ってこわっ! もっと早く、ちゃんとダイナミクスのことを知っておけば良かった!」
憑き物が落ちたような心地でホッとしたのだろう。
零れる涙を拭いながら照れたような早口で言った宮内は、ようやく笑顔を取り戻した笹田と顔を見合わせて笑った。
「先生、ありがとうございます! ずっと迷ってたんですけど、これなら……潤一との仲を続けて行ける。婚約者としても……パートナーとしても!」
「そうですか。お役に立てて良かった」
すっかり元気になったカップルは、他の2人と共にコマンドの活用方法についてひとしきり賑やかに語り合ったあと、そわそわと寄り添いながらプレイルームを立ち去っていく。
残された2人を促して折り畳み椅子の片づけを始めたところで、裕司は「そういえば」と門田を振り返った。
「忘れるところでした。門田さんもわたしに話があるとのことでしたね。何でしょう? 次回の診察についてのご相談ですか?」
「あ、え~~~~~~~っと……」
両手で持った学生鞄をパタンパタンと膝に打ち付けながら俯いた門田は、やがて口を尖らせて隣に立つ澄生を見あげた。
見あげられた澄生の側は微妙な笑顔を貼り付けたまま固まっている。
「な~~んか、話さなくても分かっちゃいました」
「か、門田さん?」
俄かにシンとした室内に「はぁ……」と溜息の音が響いた。
「武田先生が山峰先生のパートナー、なんでしょ?」
「……や、と、そのっ……」
「変だと思ったんですよね~~。やたら病院のこと詳しかったし。でもさぁ、あんなの見せられたら……納得するしかないじゃん?」
最後は涙声になった門田は、片手で目頭を拭って背を向けた。
裕司のほうは見ないまま半身で澄生を振り返り、べっ!と舌をだして睨む。
女の子にしては意志のはっきりとした双眸は、拭ってもなお溢れる涙で濡れていた。
「いいよ先生。もともとあたし、山峰先生にフラれに来たんだからさ。なんか凹む前に清々しちゃったから、送り届けもいらない! じゃねっ!」
精一杯の強がりをみせた少女は、バタバタと足早にプレイルームを飛び出していった。

