いまは裕司が研修中ということもあって仮契約という話になり、週に1~2度ほど裕司のマンションで食事をするという程度の付き合いに留まっているが。
会えば裕司は、日常の動作にさりげなくコマンドを挟んで澄生を溶かしてくれる。
互いに親密に連絡を取り合い、時には口づけを交わし、スケジュールを把握するようなこの関係はもう恋人と呼んでもいいのだろう。
だから、申し訳ないが門田の恋は「叶わない」と断言できてしまうのだが。
(まさか、んなこと言えるわけないしなぁ……)
キャットウォークの上の窓から覗く夕陽を眺めながら、文字通り黄昏ていると。
いつのまにか泣き声が止んだ門田が、いきなり両手でグイっと澄生の襟元を引っ掴んだ。
そのままガンでも飛ばすかという形相で見上げられ、一瞬(心の声が聞こえた!?)と焦ったが、幸いというべきか彼女の意図は違っていた。
「武田先生っ!」
「な、なにかな?」
「あたし決めた! 山峰先生に告白する!」
「へっ!?」
「だってこのままじゃ、あたしの気持ちが収まんないもん! 告白してちゃんとフラれたほうが、すっぱり思い切れるしっ!」
「い……いやまぁ、門田さん的にはそうなんだろうけど……」
「だから先生、お願い! あさって病院まで一緒に付いてきてっ!」
「えええっ!?」
思わず仰け反りかけた澄生の襟を、門田はガシガシと揺さぶった。
「先生も知ってるでしょ? あたしSubだもん! Domの山峰先生にフラれたあと、ドン底まで凹む自信あるっ!」
「い、や、だからって、なぁ」
「だからアフターケアしてほしいの。お願いっ!」
「う……う~~~~~~~~~ん……」
澄生は困り果てて頭を搔いた。
裕司のことだから女子高生を傷付けるような断り方をするとは思えないし、仮にSub dropになったとしても、そこに癒し系Domの医者がいるのだから問題はないだろう。
しかし、仮にも自分の恋人に告白をしようという女の子に付き添ってその現場へ向かうだなんて、ばつが悪いにもほどがある。
(けど、まぁ……落ち込んだこの子を家に送り届けるくらいは……オレの義務かぁ)
何しろ彼女の失恋(予定)の原因は自分なのだから。
「はぁ……分かった。付き添ってやるよ」
「ほんとっ!?」
「その代わり、山峰先生に失礼のないようにするんだぞ? そうでなくても毎日お忙しい方なんだからさ」
「うん! ありがと先生! じゃあ打ち合わせは明日ね!」
いきなり元気になった門田は、ポニーテールに結った髪を揺らしてペコリと一礼し、更衣室へ向かってパタパタと駆けていく。
これは裕司にも知らせておくべきだろうなぁと嘆息しながら、澄生はその背を見送った。
そしてその翌々日の土曜日。
4時前に切り上げられた部活動の後、澄生は着替えを終えた門田に付き添って、裕司が勤務している県立病院を訪れていた。
商業施設の入る駅から車で5分ほどの距離にあるその病院は、一般病棟や外来・検査室等々が入る診療棟と、レストラン・売店・講堂・会議室などが入る中央棟、リハビリや透析・医局などが入る西棟、そして看護学校や精神医療センターなどの建物が並ぶ県内屈指の大規模病院だ。
ここには裕司の恩師である女性医師が勤めているそうで、大学時代に感銘を受けたその恩師の教えを乞う目的もあって研修先としてこの病院を選んだということらしい。
濃紺のブレザーにチェック柄のスカートという制服姿の門田は、診療棟の正面玄関を入ると、澄生のシャツの袖をつまみながら緊張した面持ちで周囲を見渡した。
時計の針は午後5時近くを指している。
受付や会計のカウンターにはすでに事務員の姿はなく、その周辺に整然と並べられた三連の椅子にも患者の姿は見当たらない。
「この時間の外来ってガランとしてますよねぇ。な~んかちょっと不思議~」
「そりゃなぁ。診療はほとんど日中の内に終わってるし」
「山峰先生どこにいるかなぁ。病棟のほうかな」
「ん~~~いまの時間なら医局じゃないか? 5時半を過ぎると病棟が引継ぎやら配膳やらで慌ただしくなるから、その前にカルテの整理かなんかしてる頃だと思うぞ? 当直明けは外来診療が終わって退勤したら休みだそうだし……」
「え。なんで武田先生が知ってるの? やたら詳しくない?」
怪訝そうに問われて、ドキッと心臓が飛び跳ねる。
まさか裕司本人に聞いただなどと言えるはずもない。
「い、いやまぁ、こういうのは勤務医にありがちっていうか」
「ふぅん」
山峰医師に告白しよう!と意気込んでいる門田は、澄生の気まずげな素振りもとくに気にならなかったらしい。あっさりと頷いてフロアマップを確認し、西棟の方向へと歩き出した。
一昨日の時点で裕司には連絡を入れてある。
事情を聞いた裕司は、澄生にとっては複雑すぎる成り行きに苦笑していたが、可愛らしい女子高生の恋の清算のためならばと茶番に付き合うことには了承してくれた。おそらく門田の訪れを待って二階のロビーあたりにでも待機してくれているだろう。
さすがにこんなシチュエーションはそうそう無いだろうが。
裕司のパートナーとなった以上、今後も、彼に言い寄る恋敵たちと対決することになるのだろうな……などと、前を歩く少女の揺れる髪を見つめながら溜息をついた時。
「……っ!?」
突然、建物同士を連絡する回廊脇の歩道から、焼け付くようなGlareを感じた。
とっさに前を歩く門田を抱えて背を向ける。
裕司曰く耐性があるという自分ですら力が抜けそうになるこれを、まだ未成熟な少女がまともに浴び続けたら重篤な発作を起こしてしまう。
「せ、先生」
「建物の中まで走れ! 早くっ!」
あと10メートルほどだった距離を、門田を抱えたまま駆け抜けてガラス扉へと飛び込む。
すると廊下奥の階段からバタバタと駆け降りてくる足音がした。薄いグレーのシャツに白衣姿で現れたのは、門田が会いに行こうとしていた当の本人だった。
「あ、ゆうっ……じゃなかった、山峰センセ! いま外で」
「分かってる! 君たちは奥へ避難していてくれっ!」
裕司は早口にそう告げるなり、扉を出て歩道のほうへと向かっていく。
庭で起きたのはおそらくどこぞのDomの暴走だろうが、最高ランクの彼の威嚇ならばどんなDomであろうが静止できるはずだ。
それよりも問題なのは、見知らぬDomからの威圧を受けてしまった門田のほうだった。
「う……あ……せんせ…………うぅ……」
カタカタと震えている門田は浅い呼吸を繰り返し、案の定、発作を起こしてしまっていた。これを回復するには投薬などの鎮静処置を行うしかない。
「もうちょっとだけ辛抱しろよ。処置室へ行けば先生方が対処してくれるはずだから。歩けるか? オレにつかまって」
「は、ぃ……」
彼女の学生鞄を預かって肩を抱き支えながら廊下を進む。
受付で事情を話すと、すぐに事態を察した医師たちが対応に当たってくれた。
点滴を行うという少女を看護師らに託し、回廊へと引き返してみると、そこに居たのは二十代半ばほどの女性とパートナーらしい体格のいい男の2人連れだった。
身を屈めた裕司が向かい合っていたのは臙脂色の首輪をした男のほうだ。
真っ青な顔で涙を流しながらガタガタと震えている。パートナーから激烈な怒りを向けられたことによる不安発作だろう。両手で頭を抱えるようにして立つ女性のほうも、自身が起こした出来事が信じられないという面持ちで呆然としていた。
「笹田さんと仰るのですね。分かりました。それでは緊急ケアのために、一時的に彼をわたしのコントロール下に置きます。よろしいですか?」
「は……はぃ……す、みませ……」
青ざめたまま両手を握る女性が頷くのを待って、裕司は男の顔を両手で挟み込んだ。
直後にふわりと広がったのは癒しのGlare。普段のプレイ中とまったく同じ波長であるはずなのに、なぜか温かいと感じる力だった。
「笹田さん? わたしの目を《見て》」
俯いたまま震えていた男がのろのろと顔をあげる。
それへ裕司が「《いい子だ》」と微笑むと、男はわずかに表情を和ませた。
「彼女に叱られて苦しかった? ……うん、辛かったですね。もう我慢しなくていいですよ。―――ええ……大丈夫」
ボロボロと泣きながら俯いた男の頭を撫ぜて立ち上がった裕司は、女性の方へと向き直ると、事情を聞くために彼と共に診察室へ来るようにと告げる。
そんな一部始終を遠目に見守っていた澄生は、突如胸に湧き上がったモヤモヤとした苛立ちと戦っていた。
(……あのひとは、患者をケアしただけ。分かってる……んだけど……な)
覚悟はしていたつもりだった。
仮契約をした際に裕司自身も言っていた。自分は医者として他のSubの相手をしなければならず、その場に居合わせれば君に不快な思いをさせることになるだろう……と。
分かってはいても、こうして彼のGlareを浴び、実際に別の誰かへコマンドを発する姿を目の当たりにすれば、少なからず心は搔き乱されてしまう。
これは単なる嫉妬ではなく、理性で制御できるものでもない。
パートナー関係を結んだSubとしての本能であり、避けては通れない苦悩でもある。
さっき、門田以外にも恋敵が現れるかもしれないと思ったのと同様に、澄生が受け入れていかなければならない現実だった。
「武田先生」
「はい?」
物思いに沈む間に、傍らに裕司が歩み寄っていた。
澄生の肩にポンと手を置いて「あなたは大丈夫でしたか?」と小さく囁く。
「はい。オレは何とも」
見あげた先にある優しい眼差し。
本当はこの瞳に、自分以外の誰かを映して欲しくないけれど。
ひとり占めにはできない彼を、自分はパートナーとして選んだのだ。

