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#04 セーフワードを決めよう

Dom/Sub専門医、始めました♪

喫茶店を出て向かったのは裕司の自宅だった。
研修医として勤める病院の最寄り駅からは3駅隣。駅前ロータリーから歩いておよそ10分ほどの場所にある6階建てのマンションだ。片田舎だが駅前付近には飲食店や商店が並び、買い物客でそこそこ賑わっている。

途中のコンビニエンスストアで軽食や飲み物を買い、連れ立って6階の部屋へと辿りつくと、リビングへ一歩入るなり澄生は「うっわ」と声をあげた。

「ひっろ! こんな広い部屋で1人暮らしっすか? 勿体ねぇ~~!」

裕司が暮らしているのは3LDKに間仕切られた部屋だった。
玄関を入ってすぐに2つの洋間。廊下を進んだ先にキッチンと14.5畳のリビングダイニング、6畳の洋間、その周囲をL字にバルコニーが囲む家族向けの賃貸マンション。ただし使われているのは奥のLDKと洋間だけで、玄関側の二つは完全に空き部屋だ。
住むのは研修期間を終えるまでの数か月だけの予定なので、こうした中途半端な使い方となってしまっているのだが。

「建物自体が親の持ちものなんだよ。どうせ今は借り手が付かなくて空いてるし、こっちに勤務する間は好きに使えと言われて」

「うわ~~~お坊ちゃま発言だ~!」

「まぁ、ほとんど病院に詰めてるから、ここへは寝に帰るくらいだけどね」

「ますます勿体ない!」

はしゃぐように言った澄生は、興味津々にあちこちの部屋を覗きはじめた。
その間に手荷物を置いてキッチンへと向かった裕司は、ペットボトルの麦茶をグラスに注いでソファセットのテーブルに置く。そして、まるで好奇心旺盛な猫のような青年の興味が落ちつくのを待つあいだ、ソファに背を預けてずっとその姿を観察し続けていた。

さて、この可愛げな青年をどう料理すべきか。
これまで何に対してもあまり執着を抱くことがなかった己にしては珍しく、そんなワクワクした思いを抱いている。

なぜだろう?過去に一度世話をしたとは言え、ほぼ初対面に近いようないま現在の彼にこれほど興味をそそられるのは。
おそらくは高ランクSubであることへの期待だろうか。それとも。

やがて裕司の視線に気づいた青年が「あ」と振り返って赤面した。

「す、すんません、他人ひとんちなのについあちこち覗いちった」

「構わないよ。わたしも見てて楽しかったし」

「見て楽しいって、オレが?」

「さっきから思ってたんだけど、歳のわりに無邪気だよね」

「う。なんかオレ、先輩には恥ずかしい姿ばっか見せてる気がする」

窓辺からこそこそと戻ってきた澄生は、裕司の斜め向かいに腰かけた。すすめられた麦茶のグラスから一口飲んで、ホ~~っと心地よさげな息をつく。
温かい家庭で真っすぐに育てられているからだろう。なにをするにも飾らず生き生きとした様子が、裕司の目には微笑ましい。

「で。どうする? このまま始めちゃっても構わない?」

「う、あ、はい」

「まずはセーフワードを決めようか。君に任せるよ。なにがいい?」

「え~~~っと……」

両手のグラスを見下ろして考え込んだ澄生は、やがて窓の外へ目を向けた。
何かをジッと思い起こすように遠くを見つめてから、顔を戻す。

「先輩との共通のワードって考えたら、やっぱ『高架下』かなぁ?」

「ははっ! なるほど」

思わず笑ってしまう。
澄生にとってはトラウマになっても可笑しくないような辛い出来事であり、裕司に助けられたという印象深い場所でもあるはずだ。それを2人の間の拒絶の言葉として選ぶとは。なかなかどうして、いい性格をしている。

ますます気に入った。そう思った自分が、どうにもくすぐったかった。

限界リミットは? どんなことを期待してる?」

「う……うっとぉ」

「わたしはDomとしてもそこそこ歴が長いんでね。だいたいのことは対応できるよ?」

「―――……エッチな……こと、も?」

勇気を振り絞ったという顔つきをみて(おや?)と目を見開いた。
裕司にとって、プレイに応じるSubの大半はだ。欲欠乏の解消だけを目的とするなら「座れ」「立て」といった初歩的な命令コマンドだけで事足りる。プライベートでは性交やSMチックな遊戯を求める者もいたが、立場上、性的な繋がりを持つことは極力避けてきた。

女性相手ならばもちろんそれなりの経験をしているが、再会したばかりでまだそこまで親しい間柄ではない同性の自分にそれを求めてくるとは。

「先輩は、その、中坊ん時にオレがなんでイジメられたかって……聞いてるんすよ、ね?」

「え、うん。ああ……そっかそっか」

当時、人づてに聞きかじったイジメの経緯を思い出して、彼が求めた相手に自分を置き換えて想像してみる。
不思議と、嫌な気持ちではなかった。

「―――それは……そういう関係を求めていると、解釈してもいいのかな?」

世の中には恋人とプレイパートナーを別枠に考える者たちもいる。
そもそものダイナミクス人口が少ないこともあって、妻や夫とは別のプレイパートナーを持つことは公的にも容認されているし、ひとりで複数のSubを従えることをステータスと捉えるDomも少なくない。

だが裕司は完全に同義と捉えるタイプだ。
過去に恋人として付き合いのあった女性は全員ダイナミクスを持たないNeutralで、彼女らがいる間は治療目的以外のプレイも極力避けてきたほどだった。

仮初めの相手ならそこまでの行為には及ばない。
しかし固定パートナーになることを前提とするのなら、話はまた別だった。

「へっ……そういうって……あっ……そ…………その……」

自分で言いだしながら、予想外の返答が返ったことに狼狽えた澄生は、うろうろと視線を彷徨わせる。しかし逸らされない眼差しに気づいて「はい」と泣きそうに頬を歪めた。

「OK。善処しよう。うまくそういう気持ちになれたら……ね」

グラスを握っていた両手に片手を添える。
ビクリと震えた指先から力が抜けて、僅かに浮いていたグラスがゴトッと音を立ててコースターのうえに落ちた。上から柔らかく握るとボッと音がしそうな勢いで真っ赤になる。

何とも分かり易くて弄りがいがありそうだ。

「じゃあ後は、様子を見ながら判断するってことでいいかな? 誓って、君を傷付けるようなことをするつもりはないけれど、どうしても駄目だと思ったらセーフワードでね」

「は……はい」

「ここじゃ危ないから、あっちへ行こうか」

両手をポンと叩いて立ち上がり、寝室の扉まで歩み寄って振り返る。
ソファのうえで上体を捻るようにして目で追っていた澄生は、そわそわと落ちつかない様子で中途半端に腰を浮かせた。

それへ向けて、最初の命令コマンドを言い放つ。

「ふふ。《おいでCome》」

「……っ!」

明確な意志を乗せた言葉に、喉を鳴らした澄生の顔付きが変わる。
糸に操られるように立ち上がると、裕司の目を見つめたままふらふらと歩み寄ってきた。

「《いい子だGood boy》」

ポンと頭に手を乗せると、それだけでくすぐったそうな顔になった。
裕司の口元にも笑みが浮かぶ。
髪から頬へ。頬から肩へ。肩から指先へ。
わざと辿るように撫でおろして片手を握り、寝室へと誘い込む。

寝るだけの用途にしか使っていない6畳の洋間は、クローゼット前の壁際にダブルベッドが置いてあるだけで、ほとんど何もない空間だった。遮光カーテンも引かれたまま。たまの休日に風通しをする他は窓を開けることも滅多にない。

我ながらルーズなものだとは思うのだが、最低限の掃除洗濯はしているし、仕事と研究に明け暮れる独身男の暮らしぶりなど似たようなものだろう。

両腕を広げて回れるほど空いたそこに澄生を立たせて、自身はベッドへと腰かけた。
さぁてどうしたものかと思案してから、ふっと頭を過ぎった思いつきにニヤリとする。

「そういえば、空手をやってるんだっけね」

「え、はい」

「服のうえから見るだけでも、なかなかいい筋肉の付き方をしてるようだし。《脱いでStrip》その体を見せてくれるかな?」

「はうっ……い、いきなり、そこっすかっ」

「今日は最後まではしないから、服だけでいいけどね」

ふるふると震える両手が交差して裾をつかみ、そのまま持ち上がってサマーセーターを脱ぎ捨てた。インナーは着けないタイプらしい。すぐに淡い褐色の肌が露わになる。

ラフな黒いパンツに締めていたのは白いベルト。観察されていることを意識してか少しもたついた手が前をあけ、そろそろと引き下ろし、足を抜く。残ったのはウエスト部分にロゴ入りの黒い帯があるボクサータイプの緑色の下着だけだった。

「うん《いいねGood》。じゃあまずは基本姿勢」

コマンドは乗せない指示でも、すっと動いた澄生の様子に迷いはなかった。
両足を肩幅に開いてつま先を外側へ開き、腕は両脇へ下ろして丹田たんでんに力を入れる。空手の基本姿勢である八の字立ち。美しく引き締まった腹直筋がグッと波打った。

前屈立ぜんくつたち」

するっと右足を後ろへ引き、左足を曲げて腰を落とす。

後屈立こうくつたち」

一度腰を戻し、後ろへ引いた右足に体重を掛けるようにして半身となり、左足を伸ばす。

「突き―――追い突き―――猿臂えんび

道場では師範代を務めるような人物だ。むろん動きに無駄はない。
先ほどの無邪気な様子からは一変した勇ましい面構つらがまえ。獣のようにしなやかな肢体からだ。滑らかに動く手足の筋肉をつぶさに見ていた裕司は、思わず知らず口元に笑みを湛えていた。

「《素晴らしいSplendid》。ありがとう。本当に綺麗な身体つきだね」

ホッと安堵を浮かべた澄生は、えへっと小さく笑った。

「先輩、空手も詳しいんすね」

「いや。高校の授業で少し基本を習った程度だよ」

「でもなんか、オレのこと知っててくれてるみたいで、ちょっと嬉しい」

「そうかい? ―――少し……威力をあげるよ?」

言葉と同時に、先ほどより強いGlareを放った。
探るように少しずつ威力を強めていくと、やがて熱に浮かされるような顔となる。この時点ですでに普段プレイで使うレベルを超えていたが、澄生の表情にはまだ余裕があった。
どこまで耐えられるだろう?
胸の奥底でズクリと、試してみたい欲が込みあげる。

「わたしの前へ《おいでCome》。……うん。そこへ《お座りKneel》」

歩み寄った澄生は裕司の前に立つと、そのままストンと腰を落とす。
軽く膝を開いて両足を外側に曲げ、両手を前につくスタンダードな姿勢だった。
ぺたん座りなどと言われるこの座り方は、骨格の関係で男性には難しいことも多いが、もともと関節の柔らかい青年にはまるで問題がないようだ。
微笑んで「《いい子だGood boy》」と頬を撫ぜると、澄生はブルッと大きく身を震わせた。