河岸を歩いたら15分はかかるだろうけど、飛行すればものの数十秒という距離。辿りついた竜の骨では、一面が茶色に染まった枯れ草から綿を摘み取る作業が行われていた。
一族が《浮遊草》と呼ぶこの植物は、桃源郷の谷でのみ栽培される、浮力を宿した綿を実らせる草だ。親指の爪ほどの大きさの種を植えると、地面から1アルムほどの高さの茎に成長し、らせん状に取りまく葉の根元から細いつるが伸びて青い8枚弁の花を咲かせる。そしてその花が散ったあとには拳大の実がついて、宙へふわふわと浮き上がる。やがて茶色く枯れた実からは真っ白い綿と黒い種が収穫できる、というわけ。
俺がアルファードを連れて栽培地へ降り立つと、収穫作業を続ける人たちの中から見覚えのある男が頭をあげ、俺の隣にいたアルファードをみて不快そうに顔を歪めた。
西の村は人数が多いから、名前をちょっとド忘れしてるけど……確か次兄であるナンザ兄さんの同輩、みたいな関係のひとだったはず。
こちらを睨んだまま籠を下ろした男は、収穫後の枯草をザカザカ踏みしめてやってくると、アルファードを指差して「なんだ、その男は!」と大声を張り上げた。
「村長たちにきいてるだろ? 10日くらい前に俺たちが助けた奴だよ」
「それは知っている。なんでここへ連れてきたんだ!」
「なんでって……聖具を探してるからだけど」
「だからと言って、その男を連れ歩く必要がどこにある! ゲイルの家に軟禁すると言うから承諾してやったのに、お前が連れ出したのでは意味がないじゃないか!」
「アルファードには要素を視認する力があるからだよ。何の手がかりもなく探してるんだから、せめてそのくらいの助けがなきゃ無理だっつ~の」
「そもそもこの男が厄災を持ち込んだのだろうが! 聖具なんぞ誰も思い出しもしなかったものを、この男が口にしたせいで谷の民が狙われる羽目になったんだぞ!? お前もお前だ! 在りもしないような物の話を真に受けて、勝手な口約束などしおってっ」
「あのなぁ……」
俺は呆れて、大きく溜息をついた。
あの会議の後ですべての村に通達がいき、俺がなぜ聖具を探すことになったのかという詳細は知らされている。でもやはり疑心暗鬼になった一族は多くて、まだアルファードが寝込んでいた時に役場にまで押しかけてきて、俺たちと口論になったこともあった。
彼らの主張の大半は「聖具など存在しない。デタラメだ」というものと、聖具を探す決断をした俺への「勝手なことをするな」という憤りだ。
ぶっちゃけ俺だって(なんでこんな面倒なことに)と思うし、不満をぶちまけたい気持ちは分かるけど。アルファードが聖具の名を口にしたから谷の民が狙われようになった、という言いがかりは、出まかせにしても的外れすぎるだろう。
「おっさんの言いたいことは分かるよ。だけどこれは、村長たち全員の合意のもとで決めたことだ。谷を守るために、俺は一刻も早く聖具を見つけなきゃなんないんだからさ。そのための方法を必死で探してるのに、批難される謂われなんかないよ」
「何を言うか!そもそも聖具など存在しないとあれほど……」
「カイエを一方的に責めるのはどうかと思うけど?」
それでもまだ食ってかかろうとした男の肩を、ぐっと掴んで押しのけたのはウィリオだった。自分の体で俺を隠すように立って、いきり立つ男を睨みつける。
「あなただって事情は全部聞いて知ってるはずだ。カイエが独断で決めたわけじゃなく、村長会議の中でやむを得ず了承したんだってことも。なのに喚き散らすばかりで、なにも僕たちに協力しようとはしてないじゃないか」
「……う、そ……それは……」
「厄災を避けたいと思うなら、八つ当たりでカイエを批難する前に、助言のひとつでもしたらどうなんだよ!」
普段は穏やかで、ほとんど怒ったところなど見たことがないウィリオ。
それがいつになく怖い顔で、声を荒げて激昂する様は、さすがのおっさんの胸にも響くものがあったらしい。急に後ろめたい表情になったあと視線をそらして黙り込んだ。
すぐ脇から、いつのまにか歩み寄ってた奥さんらしいひとが袖を引く。それに促されて男は、口をへの字に曲げたまま、すごすごと、さっき収穫を続けていた場所へと戻っていった。
こめかみに手をやって、思わず「は~~~~~~~」っと息を吐き出す。
「ありがとな、ウィリオ」
「いいよ。いいかげん、僕も頭に来てたから」
ウィリオもずっと、俺のそばで皆の不平不満を聞いてたもんな。
「それより、ここでいいのかい?」
「あ、そうだった」
そばで黙って立ってたアルファードを振り返る。
彼は少しだけ複雑そうな表情のまま、頷いて周囲の畑を見渡した。
するとすぐに、まだわずかに青みが残った浮遊草のもとへと歩み寄る。その場で片膝をつき、茎から伸びたつるの先の実を手に取って、しげしげと眺めはじめた。
「―――やはり、これだけ、力の性質が違う」
なにやら、研究者のような興味をふくんだ呟きだった。
「どう違うんだ?」
「この谷に満ちる風は、水でたとえるなら、川のせせらぎのようなものだ。たえず流れて、動き続けている。それに対してのこれは、まるで氷の塊だ。小さな実の中に風の力が凝縮されている。これを縒って作る布ならば、浮遊できるというのも頷けるな」
「へぇ。あんたの眼は、そんなことまでわかるのか」
この綿になぜ浮力が宿ってるのかなんて考えたことは無かったけど、アルファードの説明をきけば俺も納得できる。
「この草は、もとから、谷にあったものだろうか?」
「いや。俺も詳しくは知らないけど、谷に住み始めて何年か経ったころに、先祖の誰かが、どこか別の場所から見つけてきた種だってきいたことがある。だよな、ウィリオ?」
「うん。確かそんな話だったね」
「…………………………」
アルファードは、ふたたび手の中の実を凝視し、それから俺を振りかえった。
「ん? なんだよ?」
白く光を放つ青い瞳が、俺の目……いや、微妙にズレた場所のなにかを見てる。
なにか付いてでもいるのかと顔をペタペタ触ったけど、とくに変わった感触があるわけじゃない。なんだ? アルファードには何が視えてんだ?
「イエヌスや、他の国の街中にも、わずかながらアエローフ族の民はいた。しかし君たちのその、耳の後ろの白い羽は、無かったと記憶している」
「……えっ!?」
俺もウィリオも反射的に耳の後ろに手をやった。
この飾り毛って、アエローフ族なら皆あるんじゃなかったのか!?
アルファードが白い羽と呼んだもの。それは谷の民ならみんな持ってる白い毛だ。
アエローフ族の特徴である、先が少し尖った耳。その後ろを覆うように、軟骨に支えられてピンと立つ突起のようなものが生えている。表面がすべすべの白い毛で覆われているから遠目に羽のように見えるけど、俺たちの中では耳の飾り―――飾り毛と呼んでる代物だ。
「その白い羽に宿っている力と、綿に宿る力の性質が似ている。もしかするとそこに、何らかの鍵が、隠されているのではないだろうか」
まったく考えてもいなかった指摘に、俺とウィリオは唖然と顔を見合わせた。
確かに俺たちは谷の民以外のアエローフ族を見たことがない。だからその違いなんて、まったく考えたことも無かった。外から来たアルファードが言うのなら間違いないのだろう。
しかしどういうことなんだ? 浮遊草と飾り毛に、同じ力が宿っている?
まさかと思うが、この毛を引っこ抜いて畑に撒いたら浮遊草が咲きました、なんて話じゃないだろうな……。
「………………う~~~~~~~~ダメだ。考えてもわからん」
こういう時は。
「ウィリオ、婆んとこいくぞ! 婆にきくのが一番早い!」
「うん、そうだね」
引っ張って立ち上がらせたアルファードを抱え、俺たちは再び宙へと舞い上がった。
ーーーーーーーーーーーーーーー
南の婆が住む一軒家は、扇型をした南の村の《尾羽台地》を見下ろす崖の中腹あたりにある。
ここだけ崖が舌みたいな形に出っ張っていて、その先端に家がちょこんと乗っかってるような状態だ。家の周りには薬草や花が植えられてるから春夏通してとても賑やかで、日ごろ俺たちは、この雰囲気を楽しむために婆んちを訪ねてるようなもんだった。
ちなみにこの村は住民の大半が女性だ。彼女らの夫や恋人は、自分の能力を活かす仕事をするために、普段は別の村で過ごしてる。
昔っから薬の調合や治癒魔法といった分野の才能に秀でたひとが多く、ここで100年以上村長を務める婆も、若い頃は薬の知識を求めて大陸のあちこちを旅した経験を持つらしい。
だから谷の外の世情にも明るく、見識も広くて、一族にとっては困った時の相談役として欠かすことのできない人だ。
かつては相当な美貌を誇る女性だったと聞くけれど、いまは皺くちゃで、いつもニコニコと笑顔を浮かべた話し好きのお婆ちゃん、といった感じ。
浮遊草の栽培場所から、文字通りすっ飛んできた俺たちの話を聞いた婆は、「それなら心当たりがある」といって奥の書庫へと入っていく。
そしてそのまま待つこと一時間。
「天窓から陽が射してんな。そろそろ飯時か……」
そんなことを呟きながら、窓辺に置かれた水時計へと視線を向けた時。奥からカタンと音がして、振り向くと、紙の束のようなものを手にした南の婆が戻ってきていた。
「ん、婆!」
「ようやっと見つけたよ。待たせて悪かったねぇ」
婆はいつものようにゆらゆらと、体を左右に揺らす独特な仕草で歩み寄ってくると、薬の材料やら巻物やらが所狭しと並ぶテーブルの一角に腰を下ろした。
「あたしも、あんたの話をきくまでは、すっかり忘れていたんだがね。先祖が書き残した手記に、浮遊草を植え始めたころの書きつけがあったよ。ほれ、これだ」
婆の手に握られていたのは、樹木の皮を加工して作られたらしい繊維の目立つ紙を、丈夫な蔓草で綴じて作った古い冊子だった。表面はすっかり色あせて、文字も消えかかっていたけど、婆が示した表紙の文字はかろうじて読める。
浮遊草を植え始めたころといったら500年前のはずだから、よくまぁその当時の紙が無事に残ってたもんだ、というべきなんだろうけどな。
渡された冊子をパラパラとめくる。
書かれてるのは、これを書いたご先祖さまの覚え書きのような内容だ。
「後世の参考となることを願って」という意味の書き出しから始まり、谷に住み始めた当初の開拓の様子や、先に谷を見つけた一族とそれを追って到着した者たちとの諍いのあらまし。一族をどのようにまとめ、苦難を乗り越えてきたのか、といった実録のようなもの。
昔のひとが書いたものだから、今じゃ使われてない言いまわしが多くって、読み解くのに苦労するけど、まぁ読めないほどじゃない。
つい読みふけってしまいそうな誘惑にあらがいつつ、飛ばしとばしに捲ったところで、ようやく婆の言う「浮遊する草」という記述を見つけた。
「あ、これか」
少し癖のある流れるような筆致で、書いてあったのはこんな文章だ。
『浮遊する草をくれし白き人影のこと。
谷に住みはじめて幾年を経し頃なりしか。影のごとき生き物に逐はれ、断崖に攀ぢたる我は、退くべき途もなく、術なきままに立ちすくみゐたり。その折、にはかに烈しき風おこりて、あたりを薙ぎ払ふ。振り返りて見し我が目に映りたるは、白衣をまとひ、白髪を風になびかせたる、世の人とも覚えぬ、うるはしき人影なりき。
男とも女とも見分け難きその御姿、鳥の翼を思はせる髪を垂れたり。やがてその御方、髪より一本を抜き取り、軽く息を吹きかけたまへば、羽は光となりて四散し、その一片、我が耳の後ろへと入りぬ。そのとき、我が身はふはりと浮き上がりたり。
さらに白き御方は、我に一粒の種を授け給へり。それが何なるかは、後の世に生くる君らも知るところならむ。すなはち、衣として織り込まるる綿を実らす草の種なり。
それより後、生まれ来る子らの髪には白き飾り毛あらはれ、我ら谷の民は、つひに空を翔ける一族となりぬ』
「………………えっ!? この、白き人影って……っ!」
「あんたが前に話してくれた、覆衣の儀の時に見たっていう人影だろうねぇ」
婆が意味ありげに頷き、横にいたウィリオが「どれどれ?」と冊子を覗き込む。
「え~~谷に住みはじめて幾年を……影のごとき生き物に、く?追われ? 断崖に……よ?う?…………ダメだ。僕じゃ難しくて読めないや。ごめんカイエ、これ訳してくれるかい?」
「うん。え~~~っと」
さっきの文章をいま風に読み替えるとしたらこうなるだろう。
「谷に住み始めてどのくらい経った頃だろう。魔物に追いかけられて崖をよじ登ったわたしは、逃げ場がなくて困っていた。そこへ突風のような風が吹いた。振り返ったわたしの目に映ったのは、白い衣を着て、白い髪をなびかせた、この世のものと思えない綺麗なひとだった。男とも女とも見分けがつかないそのひとは、鳥の翼みたいな髪をしていた。髪から一本引き抜いて息を吹きかけると、光になって飛び散った羽は、わたしの耳の後ろへと潜り込んだ。すると体が浮きあがったじゃないか」
「えっ。僕たちに飛行能力があるのは、この飾り毛のおかげってこと?」
「どうやらそうみたいだな。続きを読むぞ?」
「うん」
「さらに白いひとは、わたしに一粒の種をくれた。それが何なのかは、後世の君たちも知ってるだろう。そう、衣として織り込まれている綿を実らせる草だった。それから、生まれてくる子供たちの髪には白い飾り毛が現れるようになり、谷の民は空を飛ぶ一族になった」
読み終えた部分をまじまじと見ていたウィリオは、ぶるっと肩を震わせた。
「これ……僕らが探してた、答えそのまんまじゃないか。神話にも書かれてたよね。鳥の翼のような髪をした白い人って、つまり」
「ああ。フェサリターシャだな」
もう、ここまで分かれば確定だろう。
覆衣の儀のときに見た白い人影こそが、風の御使いフェサリターシャだったんだ!
それからしてくれた婆の話によれば、この手記のほかにも、白い人影が現れたという記述は見かけていて、谷の民が窮地に陥った際に、その時々の恩恵をくれていたらしい。
ただし最後の記述があったのは300年ほども前のもので、それ以降の先祖の書きつけには一度も白い人影の目撃情報は記されていない。
つまり俺が見たのが最後かつ、最新の姿ってわけだ。
「ということはだ。聖具について知りたきゃ、御使いを探せってことだよな」
そもそも聖具を司ってんのは御使いなんだから、どっかから飛び出てくると考えるより、なにか条件を満たした時に「授けられる」と考えるほうが自然だろう。
問題は、どうすればその御使いに遭遇できるのか、ってことだけど。
「……………………うう。結局、ふりだしかぁ……」
頭を抱えた俺の肩をポンと叩いてウィリオは苦笑する。
「まさか、困ったときにしか出てきてくれない、んだったりして?」
「さぁてねぇ」
「けどさ~~~俺が見た時って、べつに困ったことがあったわけじゃ……」
その時。
突然、バタン!!と大きな音を立てて、婆んちの扉があいた。
思わずビクッと飛び上がりながら振り返ると、扉の前でハァハァと息を切らしながら立っていたのは、髪も服も振り乱した尋常ではない様子のモニカだった。
どうやら超特急で飛んできたらしいモニカは、俺の姿を見つけると、緊張が解けたようにオレンジ色の瞳からボロボロと大粒の涙をこぼし始めた。
「やぁっと見つけたぁ! カイエ、ウィリオぉ~~~~!」
「ど、どうしたんだよ、モニカ」
ヒラッと舞って飛び込んできた細い体を受け止めて覗き込むと、俺を見あげたモニカは、ヒックヒックと泣きながら答えた。
「ひ、東の、五段棚の上の窪みに、また……人がいて。見つけた、っく……村の人たちが、役場に連れてっ……たんだけど……そこでみんなと、喧嘩になっちゃってぇ……」
「なんだって!?」
「なんか……その人たち、アルファード王子……を、探してきたみたいで」
思わずアルファードを振りかえる。
ここまで無言で話を聞いていた彼は、モニカの言葉に、苛立ったような表情になっていた。
「もしや、わたしを探していたというのは、朱金色の髪をした少女ではないだろうか?」
「う、うん、そぉ。その子とぉ、あと3人いたよぉ」
するとアルファードは小さく唸り声をあげた。
出会ってから初めてみる獰猛な顔で舌打ちすると、俺を振り返り、悲壮な表情となって「カイエ。すまない」と頭を下げた。
「おそらくその者たちは、わたしの足跡を辿って来たのだろう。仇なす存在にはならないと誓ったばかりだというのに……ほんとうに申し訳ない」
「あ、いや、別に。あんたが呼び込んだわけじゃないのは分かってるよ」
「うん。そうだね」
何も知らないままだったら疑ったかもしれない。
けど、幸いなことに俺とウィリオは、アルファードの言う「朱金色の髪をした少女」が誰であるかを知っている。その少女のことを彼がすごく苦手に思っていることも。
「ともかく東の村に戻ろう! 」
ウィリオとモニカを促し、訳知り顔でうなずく婆に片手をあげてから、俺はアルファードを抱えて婆の家を飛び出した。

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