大陸歴765年、弓季8月13日。
「ふぁ……あ~~~~ねっむ……」
「カイエはほんっと、朝が弱いよなぁ」
手で隠す間もなくこぼれたあくびに、大口を開けたまま目をこすった俺を、ポンと頭に置いた片手で引き寄せながらウィリオが笑った。そのまま肩に頭を凭れかけると、こめかみに添えられた指先から嗅ぎなれた匂いがして、なぜだかホッとしてしまう。
このほのかに甘い香りは、いつも剣の手入れに使っている蜜蝋のものだ。きっと朝の鍛錬にでも精を出していたんだろう。東の村の住人の中じゃウィリオが最も身体能力が高く、短剣の扱いもこなれている。性格は誰よりも穏やかで優しいやつなのに、蜜蝋の香りが染みついて馴染んでしまっている……なんて、皮肉なもんだけど。
ウィリオは、そんな素振りは欠片も見せない優しい仕草で、肩に乗った俺の髪をくしゃくしゃと掻きまわしながら「また寝ぼけて転ばないでくれよ?」と苦笑した。
「ばっか、あれはたまたま段差があっただけだっつの」
「普段は無意識レベルで風を操ってるくせに。どうして朝だけ、そう無防備なんだか」
「俺だって、油断するときくらいあるって…………ふぁふ……」
「ほんとに眠そうだね。やっぱり疲れてるのかい?」
「ん~~~まぁなぁ。こう連日探し回ってると、さすがに」
「他の村のひとたちからも、何だかんだ言われちゃってるしね。精神的な疲労も溜まってるのかな」
「……うん……」
眠すぎて返事するのもおっくうになってる。
あくびで滲んだ視界の向こう、心配そうに覗きこむウィリオの顔をぼんやり眺めていると。斜め向かいに立っていた男が笑みを含んだ声で「仲がいいことだ」と呟いた。
ん?と視線を向けると、アルファードは口元に拳を当てながら青い目を細めている。
いつのもことだったから、何の気なく抱え込まれた恰好のままでいた俺は、思わず「うわっ」と赤面して、ウィリオから身を離した。
「い、いやこれは……そのっ……!」
わたわた手を振って誤魔化そうとしたけど、男の笑みはますます深まるばかりだ。
くっそ。たまに年上の甥っ子や、姪っ子たちからも揶揄われんだよなぁ。
何かといえばくっついてる俺ら3人のスキンシップは、兄妹だとか恋人だとか通り越して、もはや熟年夫婦の域だ……とかなんとか。谷の民にそう思われんのは今さらだけど、外の人間に見られるのはなんか、ものすっごく恥ずいっ。
「そ、それでっ、今日はあんたも、俺たちに付き合って谷をめぐるってことでいいんだよな!?」
アルファードはくっくと笑い続けながら、
「ああ。私の眼が役に立つのであれば、好きに使ってくれて構わない」
「お、おうっ。頼りにしてるよ!」
東の村の男たちから借りた、簡素な白シャツと土色のズボンを纏って立つ男は、ゆるく巻いた黒髪を掻きあげながら、ゆったりとうなずいた。
ーーーーーーーーーーーーーーー
アルファードが谷を訪れてから10日が経った。
村役場で気を失ってから丸2日ほど熱が引かず臥せっていた彼は、そのあと結局、東の村長宅……つまり俺んちで居候を続けることになった。
理由はいくつかある。
まず、俺んちが、崖の岩壁をくり抜いて作られた高所にあること。
飛行能力がある谷の民にはなんの不自由もないけど、飛べないアルファードにとっては一歩踏み出すだけで投身自殺ができるような場所だ。実質、監獄みたいなもんだろう。
ふたつめに、俺や親父いがい、誰のもとにいても無事じゃ済まないだろうってこと。
あの会議の場にいた爺さんたちは、不承不承アルファードの滞在を認めてくれたけど、詳しい事情を知らない他の一族の反応は最初の時の爺さんたちとほぼ同じだったんだ。
ほっとけば、アルファードは一夜にして殺されていたに違いない。
かといって、他の村長たちにはおそらく、反発する谷の民たちは止めきれない。
物理的な対抗力以上に、聖具についての責任を俺に委ねた村長たちでは、説得力に欠けてしまうからだ。
そして最も大きい理由は、アルファードの持つ《視る眼》だった。
なにしろ聖具に関する情報は無いに等しい。いちおう、蔵にある書物や祖先が残した書き置きなんかを片っ端から調べちゃいるんだが、出てくるのは神話をモチーフとした絵画や手記、そして「光の神が育てた愛の花の咲く庭」だの「アルドルの鏡が映す不思議な世界」だのといった神話の外伝(つか、誰が書いたんだ?)みたいな挿話ばかりだったんだ。
まぁ……あれはあれで面白く読めたんだが……。ふと気づくと日が暮れてるようなぐあいで、捜索の手掛かりになりそうな情報は一向に見つからない。
そんなわけで、何の手掛かりもないまま探すのは「もう無理!」ってことで、やむなくアルファードの目の力を借りることにしたわけだ。
ちなみに俺たちは、アルファードが臥せっていたあいだ、いろんな話をした。
イエヌスという国のこと。庶腹の王子として生まれたアルファードの生い立ちや、遠い南の国から流れついた踊り子だったという母親のこと。幼い頃に弾き方を教わり、形見として大切にしていたリュートのこと。そして、5歳の時に亡くなった母親ゆずりの黒い外見のせいで、王族どころか一般市民からも「影の眷属」と蔑まれることになった苦い過去。
そんな人々の嫌悪感を煽っていたのが、生まれつき持っていた《視る眼》と、力を発揮するときに現れる、あの瞳孔を取り囲む黄金色の輪っかだったらしい。
俺にとっちゃ、魔法を使う者の目が光る程度のことは珍しくない。だから「まぁ……あるんじゃね?」くらいの印象でしかないんだが。それで散々イヤな思いをしてきたアルファードにとっては、俺たちに《視る眼》を明かしたことじたい相当な覚悟が必要だったようだ。
なぜ谷に辿り着けたのか、それを明かさなければ信用を得られないし、一族の精神的支柱であると判断した俺を説得することもできない。だからこそ早々に眼を見せたわけだが、俺たちは単に物珍しくて驚いてただけでまったく忌避感を抱いてない様子だったので、これならば話もスムーズにいくのではないかと安堵していたという。
ともかく、そんな事情を聞かされていた俺は、じつは今朝まで《視る眼》のことをアルファードに切り出すのを躊躇ってた。
一族の中で護られて育ってきた俺には、侮辱されたことも孤独に苛まれた経験もない。
もちろん谷の民にだって、嫉妬や劣等感といった感情から孤立してしまう者はいるし、喧嘩したり邪険にされたり、そうした一族の揉め事に頭を悩ますことなどしょっちゅうだ。
けど俺自身は、親兄弟みな健在だし、物心つく前から仲のいい幼馴染みもいて、ずいぶんと恵まれた環境の中で過ごしてきてるんだよな。
そんなことを考えた時に、俺がアルファードに対して抱いたこの感情は、きっと罪悪感、なんだろう。俺が彼に何かをしたわけではない。だけど突き上げてくる「労わりたい」「報いたい」とでもいうような妙な心持ち。
さっき家を出るときに、彼のほうから「手伝えることはないか」と訊いてくれたから、それでようやくお願いを口にできたというわけ。
「さ~~ってと、どう探すかな~。アルファードに視てもらうにしたって、この広い谷のどこを見せればいいんだか」
台地の端に立って、谷のはるか先へと目を向けた。
この日、俺たちがいたのは、東の村にある通称《底辺台地》の端っこだ。
東の村は、大河の西側の岸に「村役場・学び舎・共同浴場・洗い場・食料倉庫」といった村の暮らしを支える共有施設が集められた台地があり、それを取り囲むように、岩盤を掘って作られた岩穴住居や果樹園などが点在する、すり鉢みたいな構造をした村。
底辺台地は、浸水被害を防ぐために上側が広い台形をしてるので、その端っこに立てば谷を広く見渡せる。しかし目に映るのは、いつもどおり代わり映えのない風景だ。聖具を探し始めたっつったところで、特別変わったなにかが起きている様子はない。
目の上に手を翳して左右を見ていたウィリオが「う~ん」と唸った。
「ほんと、手がかりが無さすぎて探しようがないね。分かってるのは《疾風の衣》って名前だけだし。どんな聖具なのか、大きさも形も神話では語られてないからね」
「そうなんだよなぁ。衣っていうんだから、外套とか帯みたいなもんだろうけど。抽象的な名前だとしたら、形状は何でもありって気もするし」
名称だけで、どんな聖具か語られていない理由については諸説ある。
そもそも《根源の光》で紡がれたものだから変幻自在に姿を変えられるという説と、それを所有する者によって形状が変化する、という説が有力だそうだが。
「だけど、アルファードの話からすると、アルディスで出現した《沃土の円環》は指輪だったんだろう? だとしたら、そう大きく外れた代物でもないんじゃないかな?」
「俺もそう思うけどさ。形状はさておき、問題はその聖具が、埋まってんのか、祠にでも隠されてんのか、条件次第で出現するものなのか、なんだよ」
「……そうだね」
もう何度めになるか分からない繰り言だった。
ちょっと前に南の婆から聞かされてた「火の島」の物語には、伝説の剣を探して海を渡った冒険者が、島の巫女と恋仲になって祠の謎を解き明かす……なんて場面が登場してた。だから祠に隠されてるかもって発想じたいは、突飛な考えってわけでもないだろう。
けど正直なところ「埋まる」や「隠される」じゃ無いだろうとは思ってる。
何しろ谷の民が500年以上も住み続けてきた場所だ。隅々まで知り尽くしてるといっても過言じゃないし、探して見つかるような祠ならとっくに誰かが見つけてるだろう。
となると残るは、何らかの条件が整ったときに出現するって可能性だが、それこそ雲をつかむような話で、なにをどう検証すればいいのかさえサッパリ分からない。
ほんと、八方塞がりって感じなんだよな。
「……………………」
俺たちの会話を聞いていたアルファードが、ザーザーと水音を奏でる大河を見下ろした。
するとすぐに、ブワッと肌の表面をなぞるような魔力の波動が生じた。慌ててアルファードの顔を見あげると、凝らすように細めた青い瞳に黄金色の輪が現われている。
しかも輪っかじたいが白っぽい光を放って淡く輝いていた。
こないだ村役場で見たときはただの輪っかに見えてたから、魔力を込める量にしたがって変化するのかもしれない。
俺にとっては何度みても神秘的な光景で、ついつい目を奪われてしまう。
眼をキラキラさせたまま(比喩じゃないぞ?)、しばらく河の周囲を見渡していたアルファードの視線が、一点を向いて止まった。
そのまま、じ~~~~~~っと凝らすように見続けている。
「ん? なにか見つけたのか?」
「あそこだけ……気配が違う、風の要素が視えるのだが」
アルファードが指差したのは、俺たちのいる底辺台地からは南東の方角にある、大河の中央付近に連なっている中州だった。東の村の区域は、河の左右の平地に耕せる土がほとんどないので、唯一その中州だけが畑として整備されている場所なんだが。
「ああ、竜の骨か」
「竜の骨?」
「あ、えっと、これ」
自分がいつも斜め掛けにして身につけている、覆衣を片手で示す。
「こないだ話したよな? この覆衣の、材料になる綿花を栽培してる場所だよ。5つに分かれた中州を、2本の河の流れが挟んでて、なんとなく背骨みたいに見えるんだ」
西の大陸に横たわるリンドラ山脈は、地図でみると、桃源郷の谷がある北側一帯が竜の頭、南側が胴体と尻尾のように見えるから「横たわる竜」と名付けられたのだと言われている。それを準えての呼び名だ。安直なネーミングだし、先祖の誰が呼び始めたのかは知らないが、俺はわりと気にいってる。
「……ああ。リンドラ山脈の中軸にある骨だから、竜の骨か。なるほど」
アルファードにもその名の由来は伝わったらしい。
「他に手掛かりもないことだし、ひとまず行ってみるかい? カイエ」
「そうだな」
ふわりと浮き上がったウィリオの言葉に頷いた。
飛べないアルファードを代わりに抱いて運ぶべく、握っていた覆衣からアルファードの腰へと手を回しかけて……ふっと思いついた。
「そうだ。谷にいるあいだ……これを、あんたに貸しておくよ」
身につけていた覆衣を外しながら言った俺の言葉に「ちょっ!?」と驚きの声を発したのはウィリオだった。
「いいのかい、カイエ!? それを渡しちゃったら……!」
「うん。爺さんたちは反発するだろうけど」
いつもは左肩から斜め掛けにして腰帯で留めている深草色の覆衣。
それを、アルファードの腰にぐるぐると巻き付けて適当にむすぶ。そのうえで衣に魔力を通し、軽い守護の魔法をかけておいた。
本気で攻撃されたら無事じゃ済まないけど、不意打ちで切りかかられた程度なら弾いて受け身が取れるだろうくらいの、まぁ……おまじないのようなものだ。
「えっと、この覆衣にはさ、浮力が籠ってるんだ。あんたは谷の民じゃないから飛行することはできないけど、綿毛みたいにふわふわ落ちてくだけならできると思う」
「…………大事な、ものでは……ないのか?」
アルファードは一度大きく目を見開いたあと、呆然としたようにその目で俺の動きを追っていた。そして腰に巻かれた覆衣をジッと凝視する。
「うん。俺たちにとっては、一族の証と言えるくらい大事なものだよ」
「それを……なぜ、わたしに?」
「東の村の中じゃ、飛べないあんたにとって命取りな場面が多いだろうからな。―――まぁ、谷にいるあいだの滞在許可証みたいなもんだと思って、身につけててくれ」
これには二重の意味がある。
一族からアルファードへの攻撃を抑止するためと、俺が彼の行動について責任を負うという覚悟を一族に示すためのもの。それでも反発する者たちは当然いるだろうけど、理性のある者なら、覆衣をみて冷静になってくれるだろう。
持ち主に帰属する魔法具であるこの覆衣を、無理やり俺から奪い取ることはできない。つまり俺自身がアルファードを信頼して託したことの証でもあるからだ。
自分でも、なぜこんなにアッサリ渡せるのかが不思議だったけど。この10日のあいだにアルファードの人となりを知ったからこそ出せた結論でもあるんだろう。
すると、パッと勢いよく顔をあげたアルファードは意外な行動にでた。
宙に浮かせたままだった俺の手をとり、無言のまま身をかがめて片膝をつく。
そして、突然の出来事にポカンとなった俺の指先に、まるで貴人に拝礼する騎士のごとく、軽く口付けるような仕草をしてみせたんだ。
「えっ?」
「はっ!? あ、あんた何やってんだよ!?」
ウィリオと俺は仰天したが、見上げるアルファードの顔は真剣そのものだった。
「カイエ、君の信頼に応えよう。わたしアルファードは、決して、谷の民に仇なす存在にはならないことを誓う」
「う……うぇえ……?」
言ってる意味は分かるし、いきなりの行動の理由も理解はできたが。
こういう、こっ恥ずかしいことは勘弁してくれよぉ~~~!!
お、俺は、王さまとかお貴族さまじゃないんだからさ! 王子として生活してたあんたと違って慣れてないんだってば、こういうことはっ!
「お、大げさじゃねぇの……?」
自分でもかつてないと思うほど真っ赤になった俺に、「いや」と首を振ったアルファードは、マジな口調と眼差しのまま言い募った。
「名を織り交ぜた宣誓の言葉には、呪術的な効力があるのだと聞いた。これで君の心労が減るのであれば、わたしは、何度だって誓おう」
「……お、おう……そっか……」
反発する一族からの風当たりを、少しでも減らそうっていう配慮……なわけだよな?
なんか途中から、口説かれてんじゃないかと思うような、アルファードの並々ならぬ意気込みを感じるのは気のせいなのかっ!?
「と、とにかく」
「ああうん。そうだね。い、行こっか」
動揺したまま改めて、立ち上がったアルファードの腰に片腕を回して宙へ飛び上がった。

コメント