「―――……は? 風の聖具……?」
「風の力が強いと噂される、この谷に、あるのではないかと、主張する者たちがいて」
「ちょ、ちょっ、ちょっと待て! 風の聖具ってアレだよな? 《光影神話》に出てくる4つの御使いが作ったっていう魔法具の。なんでそんなもんの話がここで出てくんだ?」
光影神話ってのは、大陸に古くから伝わる双子の神さまの物語だ。
この世界のすべての源である《根源の光》を生みだす姉神「光のプリナリーラ」と、それによって生じる影を制御する役目を担う弟神「影のエイシェラ」。この2人が創造したとされる世界には、神々の代理人として地上を見守る「火・水・土・風」の名を冠する4人の御使いがいて、それぞれに《光で紡がれし聖具》と総称される魔法具を司っているのだという。
火のエルダの《焔の剣》。水のアルドルの《水面の鏡》。土のドルマーシの《沃土の円環》。そして風の聖具と呼んでいるのは、風の御使いフェサリターシャが担う《疾風の衣》だ。
これは子供のころに誰もが聞かされるロマンチックなお伽噺。そりゃガキの頃には俺も憧れたもんだけど、いまは実在するなんて思っちゃいない。
「……きっかけは、数年前、東端の小国アルディスで、土の聖具と思わしき指輪が発見されたことだった」
「はっ? マジで語っちゃってんの!?」
身を乗り出した俺から視線を外したアルファードは、モゾリと身じろいで仰向きになり、ふ~~~っと苦しそうな息をついてから続けた。
「発見したのはアルディス王の、末の王子……だと言われていたが、実際のところは分からない。ともかくその王子が、隣国カトラスに逃げ込んで、土の聖具の存在を明らかにしたことで、近隣の国々による奪い合いが、始まったのだ」
「なんと」
「知らぬ間に、そんなことが起こっていたのか」
「しかしそれは、本当に土の聖具だったのかのう? 伝承どおりであるのなら、そう易々と手に入る代物ではないはずじゃが」
村長たちのいぶかしげな呟きに、アルファードは天井を見つめたまま首を振る。
「分からない。だが少なくとも、それを信じた国が3つあった」
「え、3つも?」
「末の王子が逃げ込んだカトラスの王と、光の神を信仰する聖王国プリ・オルコ。そしてその隣国メイフィールの王太女だ」
「あ……あ~~~聖王国かぁ」
聞いたことはある。
確か聖王国は、光の神プリナリーラを唯一神と崇める国で、双子の片割れである影の神のほうは邪神と決めつけて毛嫌いしてるっていう、ガッチガチの宗教国家だ。国の始祖となった王家の祖先に、光の加護を持った聖女さまがいたとかで、その血筋の王族が代々「聖王」を名乗ってる……って話だったような。
「自分たちが、プリナリーラの使徒……だとか名乗っちゃう連中なら、聖具があるって信じても不思議はないか」
「ああ。実際、聖具を所有する権利は聖王にあると主張して、カトラスに匿われていた王子を無理やり連れ去ろうとしたそうだ」
「ま、ありがちな話だよな。けど、もうひとつの国の、メイフィールの王太女? は、なんでそんな与太話を信じたんだ? 神話に出てくる魔法具がこの世に現われました、なんて、どう聞いたって眉唾もんの話だと思うけど」
「…………おそらく王太女は、聖具の話じたいを、本気にしたわけではないのだろう。戦場で一度だけ遭遇したことがあるが、彼女は男勝りの豪放な性格で、伝承やお伽噺といった類いの話を毛嫌いする人物のように見えた。ただ」
「ただ?」
「メイフィールはいま、老齢の王が権勢を失い……傾きつつある。王女ばかりが生まれ、その後ろ盾となった貴族たちの争いも絶えず、王太女といえども、安泰とはいかないようだ」
最後はやけに実感の籠った呟きだった。
イエヌスも王女ばっか生まれたせいで、一般市民として暮らしてたアルファードが王族として呼ばれることになったんだもんな。そりゃいろいろ思うところもあるか。
「え~っとつまり? 偽物でも本物でもいいから、聖具を手に入れちゃえばこっちのもん。自分の王位を正当化できる……とか、そういう話?」
「おそらくは、だがな」
「なんだよそれ。そんな理由で襲われたら堪ったもんじゃないだろ」
「ああ。なので」
そこで言葉を切ったアルファードは、ふっと再び溜息をついた。
「連れ去ろうとしたプリ・オルコ側の馬車を、王太女の私兵たちが襲撃し、大怪我を負った末の王子はあっさりとこの世を去ってしまった」
「……っ!」
「残された者たちは必死で聖具をさがしたが、見つからず」
「だろうな。神話では、聖具は持ち主と一緒に消えるって話だし」
「そこで、話が終われば良かったのだが」
仰向きの姿勢から、再び俺の方へと体の向きを変える。
そういえばさっきからアルファードは、俺に向けて話してるんだよな。何となく俺も受け答えしちゃってるけど。親父たちは黙ったままだし、いいんかな? このまま俺が話してて。
「半年ほど前にイエヌスを訪れた、老いた魔法師が、風の強い場所へ行けば聖具が見つかるのではないか、と言い出したのだ」
「は? なんで?」
「土の聖具―――《沃土の円環》の沃土とは、血に染まる大地のことだ。聖具が出現したアルディス国では、王が下級市民や奴隷を公開処刑と称して嬲り殺し、それを見世物にする風習のある国だった。殺された生贄たちの血によって肥沃になった大地……そこから聖具が出現したのであれば、風が強いと噂される桃源郷の谷なら、風の聖具が現れるかもしれない。そんな、理屈でな」
「いや、むちゃくちゃだろ、それっ!」
思わず手の平でテーブルを叩いて叫ぶ。
「カ、カイエ……」
左隣でウィリオが戸惑いがちに呟くのが聞こえたが、意識の外だった。
「そんな理由で出現するんなら、いままで世界中で聖具が見つかってるはずだろ? 戦場で流される血なんて、それこそ膨大な量になるはずなんだからさ!」
「わたしもそう思うのだが」
「だったらなんでっ」
「分からないが、その話を鵜呑みにした兄上が、他の国に気取られる前に先手を打つべきだと王に進言して、わたしが、探索を命じられることになってしまった」
「……い、意味がわからん」
ウィリオとモニカに腕を掴まれたまま、俺は頭を抱えてしまった。
いや、いくらなんでも話が飛躍しすぎだろう。
そもそも「沃土」が血に染まる大地だって説は、どっから出てきたんだ!?
神話で伝えられる《土のドルマーシ》は豊穣や生命を司る御使いだ。
つまり生まれるだとか実るだとかそういう幸福の象徴で、死や生贄といった概念とは真逆。沃土という名称だって、普通に考えりゃ「実り豊かな土」って解釈になるだろう。
だいたい、血を吸って発現する聖具って、どんな呪いの道具だっての!
仮にも神さまの代理人である御使いが、そんな禍々しい魔法具を作るわけないじゃんかっ。
ばっかじゃねぇ~~の!?
……とか、どっかの見知らぬ魔法師に悪態をつく一方で。ここまでの話をきいたからこそ、イエヌスで起きただろう事情にも察しがついた。
「ようするに、あんたの兄貴は、自分の手を汚さずあんたを殺すために、探索を口実として森へ行かせたってことだよな?」
傾いた視界の端で、黒い頭が縦に動くのが見えた。
おそらくイエヌスの第一王子は、本当に聖具があるとは思ってない。
いや、あればいいなと思ってはいるが、目的は、魔物にアルファードを殺させることなんだろう。もし首尾よく聖具が見つかったなら奪えばいいと思ってるはず。
ここで憂慮すべきは、第一王子以外の人間の思惑だ。
探索を命じた王さまだって、第一王子の考えることなんて当然分かってただろう。それでも命じたってことは、アルファードの目のことを知ってたからなのか? それとも、聖具が見つかる可能性が高いと思わせる、なにか別の理由でもあったんだろうか。
そして「風の聖具があるかも」と王子たちを唆した老いた魔法師の存在。
もしその魔法師が、イエヌスだけじゃなく別の国でも同じ話をしていたとしたら。それこそ、聖王国の連中が耳にしたら、今度こそ手に入れようと考えてもおかしくはない。
メイフィールの王太女にしたって、一度の失敗に凝りて諦めるような性格ならいいが。イエヌスの動きを察知して、横槍を入れようとしてくる可能性は充分にある。
だけど。
「そもそもホントに、聖具なんて存在するのか?」
何度考えてもその疑問に突き当たる。
だって、土の聖具の話にしたって、あまりに荒唐無稽すぎるんだ。
とくに処刑場で出現したってくだり。
神話で語られる聖具とは印象や性質が違いすぎてて、たまたまそれっぽい別の指輪が見つかっただけなんじゃないかって疑惑が晴れないんだが……。
「おそらくだが、風の聖具は存在する」
妙に確信をもった一言に、ぱっと顔を跳ね上げてアルファードを見返した。
「はぁ? 何を根拠にそんな」
「さっきも言ったが、わたしには《視る眼》が備わっている。その眼を通してみると、君が桁違いに強い風の加護を持っているのがわかる。そんな君が、わたしを救ってくれたという、この出来事そのものが、単なる偶然だとは思えない」
「……っ……それは……」
集まっていた一族の誰かが「やっぱり」と呟くのがきこえた。
それが合図だったみたいに俺へと視線が集中する。親父も、村長たちも。ずっと反論してた爺さんたちまで神妙な顔をして、俺の言葉を待つ姿勢になった。
谷の民には、一族が《絆》と呼ぶ共有意識がある。精神感応と呼べるほど明確なものじゃないけど、誰かの危険を察知したり、喜びを分かち合ったり、ようは一族が結束を固くするために育ててきた共感能力とでもいうようなものだろうか。
いま、そんな絆を通して伝わってくるのは、この俺に谷の代表者として、あるいは守護者としての決断を下すことを迫る、一族の総意だ。
いつのまにか詰めていた息を、細く吐き出しながら、思い返していた。
そう、確かに俺には、他の一族にはない強い風の加護がある。
子供の頃から修行してるから、谷の民はみんな魔法が使えるけど、俺のあつかう風の魔法は家一軒を片手で浮かせられるほど強力なものだ。いつの頃からか、魔法を使った土木作業や喧嘩の仲裁、谷にわく魔物との戦いの指揮なんかは俺がとるようになってたし、あの覆衣の儀の出来事もあって、きっと風の御使いの寵愛を受けているのだと噂する一族も多かった。
だからもし、本当に風の聖具が存在して、その「適応者」が定められているのだとしたら、間違いなく俺だろう、という確信めいた思いはある。
だけど、どう考えたって荒唐無稽な話だ。
有るのか無いのかすらハッキリしないもんを、どうやって探せっていうんだか。
ていうか、え、本当に探すのか?
誰が? 俺が?? どこを?? 見つけてどうすんだ???
「……仮に、聖具が谷にあるとして、君はそれを、どうするつもりでいるのかね?」
ずっと考えあぐねていた俺を見かねてか。
両膝に肘をつき、組んだ両手に顎を乗せるような姿勢で親父が身を乗り出した。
ふとみれば、俺が黙り込むあいだに疲れてしまったのか、アルファードは途切れそうな意識を繋ぎとめようとするような、苦しげな表情になっている。
「どう、とは?」
「聖具を見つけだし、奪って祖国に持ち帰るつもりなら、君はこれほどバカ正直に話す必要はなかっただろう。なにか別の、尤もらしい理由をつけてわたしたちを誘導し、聖具が発現するのを待てばいいわけだからな」
「……ああ」
「分かっていて話したからには、君には何か、別の目的があるのだろうか」
「別の、目的?」
親父が何を言いたいのか、俺にはサッパリ分からない。
「あ……あんた、だってさっき、聖具の探索を命じられて来たって言ったよな? 聖具を持って帰るつもりが無いんなら、なんでこんな回りくどい話をするんだよ?」
「…………」
アルファードはそこでグッと息を詰め、いきなりむくっと起き上がった。
驚いて「おおっ?」とのけ反った親父を見てから、なにか思いつめたような表情で、長椅子の背に凭れかかるようにして座りなおす。
ビッシリと汗を浮かべた額に張り付く黒髪の隙間から、強い眼差しが俺を凝視した。
「わたしは、警告をするつもりで、谷へ来たんだ」
「警告?」
「先ほどから君たちは、わたし以外の人間が大森林を越えることはない……という話をしていたが、残念ながら……来ない、とは言い切れない」
「え?」
「父王が、わたしの出奔を急がせたのは、すでに兄上いがいにも、わたしの眼を利用しようとする動きが、あったからだ」
「は? もう他の3国も動いてんの?」
「いや。聖王国やメイフィールにはまだ……情報が届いていないようだが。イエヌス国内にも、兄上を追い落とそうとする……勢力が……っ……いくつか、ある」
「あ、ああ。そういうことか」
「風の聖具の話を持ち出した、あの、老いた魔法師は、姉上や、わたしを担ぎ上げようと目論む貴族たちに……谷の民……を捕らえて……先導させれば済むだろう、などと……」
「はぁっ!!?」
皆が異口同音に叫んで、大広間はいきなり騒然となった。
「マジかよっ! 谷の民が狙われてんのかっ!」
そうなると話は変わってくるぞ!
ここまでは、遠い異国で起こった災禍に巻き込まれてるって感覚だったものが、一気に身近な危機感として迫ってくる。
有るか無いかも分かんないようなもののために、谷の民が狙われる!?
そんな理不尽なこと許せるものかよっ。
「いずれ……この谷に、兵士たちが押しかけてくる。何も知らないままでは、谷の民に多くの犠牲がでるだろう。だから……本当に、聖具があるならば、それを、探し出して……谷を守ればいい。無いなら……今のうちに、防備を固めるように……と、伝えるつもりで」
ゼイゼイと荒い息をくりかえしながら語り続けるアルファードは、再び瞳に黄金色の輪を出現させて俺をジッと見つめた。
「この眼がなくとも、勘の鋭い者ならば、君が適応者であることは察しがつく。―――無いものを弱みとして攻め入られるよりも、手に入れた力を、諸国と渡り合うための、交渉材料とするほうが、君にとって……有利になるのではないだろうか?」
「…………………………」
急に意識が遠ざかりそうになって、ぐらっと頭が揺れた。
両側にいたウィリオとモニカが慌てて背を抱くようにして支えてくれる。
ずっと二人の温もりは感じていたけれど、いまは体の奥から湧き上がってくるこの震えを、どうか気づかないでくれと願うばかりだった。
もうここまで来たらアルファードの思惑は理解できる。
強い風の加護があることを知って「適応者」だと目した俺に、聖具を探すという決断をさせる。その説得のために、ここまでの長話を続けてきたんだろう。
土の聖具が見つかったという話だけなら、対岸の火事と受け取って取り合わなかったかもしれない。事実、俺の中では、お伽噺の魔法具なんて探すだけ無駄だろう……という気持ちに傾きかけてたんだから。けれど、すでに谷の民が狙われていると知ったなら看過はできない。
アルファードが言うように、俺が先に聖具を手に入れられれば、それを奪おうとやってくる連中への強力な対抗力になるだろう。それも分かるんだ。
だけど、見つけられなかったら??
本当に聖具があるのかどうかすら分からないのに、俺が見つけられないせいで、一族が人質として囚われるような事態にでもなったら、どうすればいい?
…………怖い。
俺の決断に、谷の民すべての命がかかる。
けれどもう「聖具を探さない」という選択肢が選べないことは、明白だ。
「いずれにせよ、賽は投げられている、ということか」
テーブルに乗った片手をぐっと握りしめた親父が、呻るように呟く。
その時「おやまぁ」と呟いた南の婆が立ち上がった。
深紫色のローブに包まれたふくよかな体を、ゆさゆさと揺らして歩み寄った婆は、長椅子の前に屈みこんでアルファードの顔を覗き込んだ。
気力の限界に達した彼は、とうとう意識を手離してしまったらしい。
長椅子の背に凭れ掛かったまま項垂れていたアルファードの全身を、淡い黄金色をした光が包み込む。ゆっくりと宙へ浮き上がった体は向きを変え、もとの仰向けの状態で横たわらせると、婆は落ちていた上掛けを拾ってアルファードの体へと掛けた。
「あたしの治癒魔法は、回復を促進して痛みを和らげているだけなんだよ。治せているわけではないのだから、話はこれくらいにして、養生しないとねぇ」
ゆったりと話す婆は、まるで幼子にするようにアルファードの黒髪を撫ぜる。
そして、そばにいた親父を横目で見やると、どこかおどけるような笑いを含んだ声で言った。
「あたしゃ、信じてもいいのではないかと思うがねぇ。まさか聖具の話が出てくるとは思わなんだが。この子が谷にきたこと自体、逃れることのできぬ変移の兆しなのだろうて」
「ああ、それには同意見だが」
「この子にも思惑はあるのかもしれん。だが確かに、聖具を求めて無茶をしてくる連中に無いことを証しつづけるのは、難しかろう? 真実カイエに、探す力があると言うのであれば、一刻も早く、見つけるべきなのかもしれんなぁ」
「…………………………」
この婆の言葉が決定打となったようだった。
ずっと揺れていた皆の気持ちが「認めるしかない」という諦観へと傾いて。
大切な友や家族を、谷の民を護るために……これはいよいよ納得するしかないのだと、俺も覚悟を決めた。
「分かった。やるよ」
きっとこの瞬間こそが、俺の、そして谷の民の命運を決める分岐点となった。

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