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ep.0:プロローグ

限界突破(ブレイクスルー)!

俺が初めて空を飛んだのは数え3つの覆衣おいごろもの時だった。

覆衣の儀ってのは、俺たち谷の民の慣例となっている行事だ。
それまでは母親の付属物という扱いだった赤ん坊に《覆衣おいごろも》と呼ばれる羽衣はごろものような布を着せかけて、正式に一族の人間として迎えいれる儀式。

風の要素が濃い谷底で暮らす谷の民には生まれ持った飛行能力がある。ただその能力は成長とともに開花するもので、当たり前だが赤ん坊の時は飛べない。ようするに、その飛行能力を獲得するまでの補助として授けられるのが覆衣ってわけだ。

その日に儀式を迎えた子供は俺を含めて3人いた。
まぁ儀式といっても、祝詞のりとを唱えて薄い布っきれ1枚を着せかけるだけの簡単なものだ。
車座くるまざになって焚き火を囲む大人たちは、酒を飲む口実ができたとばかり浮かれさわいでいて、肩に乗せられたお揃いの深草色ふかくさいろの衣を手にはしゃぐ俺たちも、それぞれの母親の膝の上でキャッキャとご機嫌に笑っていた。

そんな最中に起きた出来事。

いつものように「かいぇ~~」と舌ったらずな声でよぶ、蜂蜜色の幼馴染おさななじみを振りかえった、その時。彼女を抱える母親の肩越しに白い何かが浮かびあがるのが見えた。

あれは、なんだろう? 幼心にそう思った。
視線の先にあったのは東の村の広場の北側に建つ村役場だ。
夜中だったから、あたりはすみのような闇に包まれていて、広場の中央でゆらゆら燃える焚火の灯に照らされた役場の壁は薄い朱色に染まっていた。
その朱色の壁のうえにかれた、とがった屋根の先端に誰かが立っている。

後から思い返すと、俺たちがいた場所と役場は30アルム(※1アルム=1m)ほど離れていたはずだ。普通に考えりゃ、夜闇の中、遠くの屋根のうえに立つ人の顔などわかるはずもない。なのにその時の俺にはなぜか、小づくりに整った面立ちも、白いまつ毛に縁どられた翠玉すいぎょくのような色の瞳も、はっきりと視認できていた。

白い人影は何をするでもなく、広場で揺れる焚火のほうを眺めている。
いったい何を見てるんだろう……そう思いながら夢見心地のまま見つめていると、ふっとこちらを向いた瞳が、微かに目尻を下げて微笑ほほえんだ。

その微笑みがあまりにも優美で。儚げで。
思わず見惚れた俺の視線の先で、白い袖から覗く薄紅色をした指先が手招くような仕草で動いて、薄い唇が何かを呟く。

すると……母さんの腕の中にいた俺の体が、ふわりと浮き上がったんだ。

驚いた母さんが悲鳴をあげ、その声に振り返った大人たちは唖然となった。
飛行能力を持つ一族とはいえ、3歳で飛べるようになった前例はない。

当然ながら大騒ぎをし始めた大人たちをよそに、俺はその人に近づこうと手を伸ばし……けれど唐突に人影は消え失せてしまった。
とたん浮力を失った体は、ポテンと地面に転がり。
慌てて抱きあげた母さんの腕の中で、痛みや苦しみではなく、なぜか途方もない喪失感を感じて、わんわんと泣き続けていた。

その儀式の日から、12年。


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