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#28 怖いほうの調教

ボクの優しいご主人さま

そしてその夜更け。
先に戻ってろって言われて、ボクは自分のお部屋で日記を書いてた。

貴族の勉強を始めてすぐの頃にラルグさまがくれた赤い表紙の日記帳。
この世界の文字をスムーズに書けるようにするためにもちょうどいいからって言われて、それ以来ずっと、その日にあったことを書くようにしてる。

もちろん今日のネタは、オセロと魔物騒動だよね!

黒いブヨブヨ魔物を退治して、初めて光魔法を使って浄化ができたってとこまで書いた時、ふいっと思い出した。

「そういえば、あの変な感じ、何だったんだろ?」

最初はクライアンさまが言ってた瘴気なのかなって思った。
でもいま思い返してみると、なんか違う気がする。

例えるなら、う~~~~~ん、なんだろ。
ほんの一滴だけ明度の違う色が混ざった2枚の絵とか、同じ景色を撮った写真とスマホ画像を重ねて見てる……みたいな??

空気の色というか、気配というか。
何かがチグハグして気持ち悪いっていうか、そんな感じ。

自分でもストンと納得できるような答えが見つからなくて、うんうん唸ってたら、コンコン!ってドアが鳴って「ユウト」ってラルグさまの声がした。

「あ、は~い!」

いつもの籐籠に日記をしまってドアを開けたら、無表情に立つラルグさまが居た。

「? ……ラルグさま?」

ラルグさまはいつも淡々としてるけど表情はわりと豊かだ。
普段は斜に構えた感じの涼し気な表情だけど、機嫌が悪い時、悲しい時、不安を抱えてる時なんかはちょっぴり子供っぽい顰め顔になる。
でも、この時に見上げた赤い瞳は、感情を押し込めたみたいな無表情だった。

「やらなきゃいけないことがある。一緒に来い」

「は、はい」

ポツンとだけ告げて背を向けたラルグさまを追って歩き出した。

すたすたと進むラルグさまが向かってたのは階下だった。
本邸の東側の建物へ向かう廊下を進んで、そこにあった扉を潜って地下へ。
ボクは一度も来たことがない建物だったから、ちょっと不安に思いながら階段を降りてくと、辿りついたのはどこかで見たような場所だった。

こ、ここ……って。地下……牢??

暗い廊下の左右に2つずつの鉄格子の部屋があって、そこを抜けた先に、テーブルや椅子やいろんな道具が置かれた広い部屋がある。
もう……まんま。誰が見ても、あ、そういう場所だよね?って思う部屋。
そこには、ニコニコしたウォルマーさんが待ってた。

「待たせたな」

「いえいえ」

短いやり取りをしたラルグさまは、ボクを横向きに抱えて部屋の端っこに置かれた椅子に座る。そして上着のポケットから小さな箱を取り出した。

横15センチくらいの箱に入ってたのは、花の形をした2センチくらいの塊だった。
5個入ってたうちの1個をつまんだラルグさまに「口を開けろ」って言われて、つい条件反射で口を開けたら、それをホイと押し込まれた。

「むにゃ? ボンボン?」

お砂糖の粒で表面がちょっとザラザラしてる。
オレンジみたいな爽やかな香りがして、甘酸っぱくて美味しい。

何だろって思ってたら、しばらくしてそれが崩れて中からトロッとしたものが出てきた。口の中にお酒の味が広がって思わず顔を顰めちゃった。

「うぇ……辛いぃ……」

すぐに顔がカッカして、体もポカポカし始めた。
見下ろしていたラルグさまはもう1個手に取って口に突っ込む。

辛いからヤダなぁって思ったんだけど、奴隷でいた間ずっとこの餌付けするみたいなのされてたから、つい条件反射で食べちゃうんだよねぇ。

だんだんとグラグラし始めた頭が青いシャツの胸にぶつかる。
ラルグさまは箱を閉じて、片手で髪を撫ぜながらゆっくりした口調で言った。

「知らずに済むならそれでもいいかと思ってたんだがな。あの残虐な男の影がチラついたとなると、やはり教えておかなきゃならないようだ」

「教え……る? って、なにを?」

「痛みだ」

ふう……と、困ったみたいな表情でラルグさまは溜息をついた。

「お前は戦のない平和な世界で育ってる。だからだろうな。自分が貴族たちに狙われていると聞かされても、まだどこか遠い絵空事のように感じているだろう?」

「は……い」

実感がないってのはその通りだったから素直に頷いた。
昼間に魔物に遭遇したときも、気持ち悪いとは思ったけど、クライアンさまたちがあっというまに倒しちゃったから、怖いってのは思わなかったんだよね。

これもラノベの影響なのかもしれないけど、自分が異世界に居るってこと自体、いまだにどっか、VRの世界でも見てるみたいな変な感覚なんだもの。

「痛みを知らねば危機感や警戒心は生れない。だから、少しだけ痛い思いをさせる。これも貴族教育の一環だと思って耐えろ」

ボクを抱っこしたまま立ち上がったラルグさまは、お部屋の中央へと歩み寄った。
その天井には十字型をした四角い木の棒が打ち付けられてて、それぞれの棒の先と真ん中くらいの位置に輪っかがぶら下がってた。

いちど床に下ろして、脇に差し入れた手で体が持ち上げられる。
すぐにシュル……って小さな音と共に両手首に黒い枷と鎖が現れて、引っ張られるみたいにして両手を天井の輪っかに繋がれた。

ラルグさまの手が離れたのと同時に両手首に体重が掛かる。
天井の高さはラルグさまが手を伸ばしても届かないくらいあるから、小さいボクじゃ床にぜんぜん足がつかない。固い枷の端っこが皮膚に食い込んで痛かった。

お酒のせいで頭がボンヤリしてた。
それでも両手を鎖で繋がれてるって怖さが、じわじわと湧き上がってくる。

ずっと傍らで見守ってたウォルマーさんが腰に下げてた鞭を手に取るのが見えて、ギュッと胸の奥が苦しくなって、体がぶるぶる震えだした。

ボク、知ってる。
ウォルマーさんはいつもニコニコ優しいけど、鞭一本で生き物を殺せるし、一撃で木の枝とか固い岩も砕いてしまえるくらいの凄腕なんだって。

「大丈夫ですよユウト坊ちゃん。神に誓って傷はつけませんから」

輪っかになってた黒い鞭が解れて先がパラっと床を打つ。
毛深い手がぎゅっぎゅっと確かめるみたいに握りを扱く横で、ラルグさまが「ああ」って頷いた。

「長くはやらない。そうだな……5回だ。5回だけ耐えろ」

「は……い……」

「それじゃ、いきますよ」

2歩、3歩、ボクの真横に進み出たウォルマーさんは、軽くすっと片腕を振る。

すると、不思議なことが起きた。

横目で見てたボクの目にはホントに軽く手首を反しただけに見えた。
音もなく伸びた黒い線が、一瞬だけボクの脇腹に巻き付いてすぐに視界から消える。パーン!という鋭い音と熱は、その後にやってきた。

「……っ…………っあああっ!!」

打たれたって感触じゃなかった。
ただ黒い線が巻き付いて、パーンって音がしただけ。
最初は痛いっていうより……熱い。そこから稲妻みたいに焼けるような痛みが広がって体が竦んだ。

たった1回打たれただけで、恐怖にガクガク震えた。

またひゅっと視界で黒い線が動いて、お尻から太もものあたりに巻き付いた。
やっぱり音と衝撃は、それが視界から消えてから襲ってくる。

「イッ……いたっ……ぁあああああ……っ! う……ぅう……あ……」

3回目はお腹。4回目はお尻。最後はふくらはぎ。
全部でたったの5回。
なのにボクは、あまりの痛さと怖さで、涙が止まらなかった。

ウォルマーさんが鞭を下ろしてすぐに歩み寄ったラルグさまが腕を広げた。
パッと枷と鎖が消えて、ふわっと浮いた体が腕の中に抱きとめられる。

「よしよし。よく頑張った……」

いつもみたいに抱っこされてもショックと恐怖感が消えなかった。
泣きながら縋りついたボクの背中を撫ぜながら、優しい声でラルグさまは呟いた。

「分かったか? これが痛いということだ」

「うぅ……ふっ……は……い」

「サディスト連中に捕まればこんなもんじゃ済まない。苦痛に理性も何もかもを失って相手の言いなりになるしかなくなる。だからこそ、是が非でも回避しなきゃならないんだ」

「……はい」

ほんとに初めて実感した。
ここが異世界で、ボクは怖いひとたちに命を狙われてるんだってこと。

ラルグさまはお酒で感覚を鈍らせて、ウォルマーさんも最低限に留めてくれた。それでもこんなに痛くて……震えが止まらなくなるくらい怖いことなんだ。
ずっと優しいひとたちに守られて暮らしてから……忘れてた。

これが現実。これがボクの身に迫ってる事。

その後すぐに、ラルグさまが治癒魔法で痛みを取ってくれて。
お風呂で温まって部屋に戻ったあともずっと腕に抱いて安心させてくれてた。

でもこの時に焼き付けられた痛みと怖さは、それから何日経っても、ボクの頭の片隅から消えなかった。