結果から言うと澄生が職を失うことはなかった。
それどころか澄生が大怪我を負った事の顛末が、本人たちすら予想もしない思わぬ効果を生み出したのだ。
およそ2週間の入院生活。
裕司の手回しで豪華な特別室へと変更された病室には、連日のように友人知人や生徒たちが見舞いに訪れている。部屋にはいっぱいの花や果物などが飾られ、あまりの多さに「掃除するとき大変なのよ」と看護助手たちから笑いながらの苦情を言われてしまうほどだ。
休職願いが届けられた学校側からも「我が身を顧みず生徒を救った鑑となる君には、ぜひ続けてもらいたい」と切望され、澄生が休職の間はこれまで通り他の教師たちが中継ぎすることで、復帰後そのまま教科担任を続けられることになった。
その状況を導いたのは、門田が語った「武田先生の救出劇」だ。
何といっても彼女は2度も澄生に救われている。
澄生の事情に巻き込まれた形ではあるが、そもそもは『逆恨みした気持ち悪いオッサン』の起こした犯行であって澄生が門田に悪さを働いたわけではない。むしろ駆け付けた澄生の機転であっという間に解放され、激怒した裕司がDefenceを起こした際も痛みに耐えてそれを止めて見せたのだ。
門田にとっては澄生こそが頼れる正義のヒーローであり、Subとしての理想を体現した憧れのひとだった。
もちろん拉致や暴行未遂の被害を受けたことはそれなりに痛手ではあったが、それを補ってあまりある『めっちゃカッコいい武田先生』の数々の逸話が、詳細を語り聞かされた年頃の少年少女らの心をくすぐらないわけがなかった。
「なんか、武田先生のおかげでSubのイメージだいぶ変わった~」
「あ、わたしも~」
「いままではこう、一方的に命令されて犬みたいに従わされてって、や~な印象しかなかったけどさぁ。でもあの2人全然そんなイメージないし」
「むしろ武田先生のがめっちゃ強い!」
「そうそう!」
「あのひと見てるとさ、ただ命令聞いて従ってって、それだけじゃダメなんだなぁ~~って思う。なんていうんだろ? 相方? 相棒みたいな? そうなろうとする努力みえるもん」
「分かる分かる!」
「Subのほうが不利だし、武田先生くらい強くないとDomと面と向かって戦うまでは行かないんだろうけど。でも、対等とかって言いきっちゃえる関係って……なんかエモくない?」
「エモい~~!」
談話室の壁に「きゃはははは!」と賑やかな女子高生たちの会話が響く。
通りすがりに澄生の名を耳にして立ち止まった裕司は、そんな女子高生たちの会話に(いい方向に向かっているようだ)と思わずほくそ笑んでいた。
最近事件続きだったDomの起こした事件ということで一時ニュースを沸かせたものの、攫われたのが未成年ということもあり、報道の煩わしさは数日程度で収まっている。
むしろ今回の出来事で、殺人未遂にまで至ってしまったDom/Subの在り方についての議論が取り沙汰されるようになり、報道を知ったダイナミクス患者が裕司の元へと殺到する有り様だった。
ついでに言えば、インタビューの流れで裕司が口にしたダイナミクス専門医の必要性も医師らの間で活発に議論されることになり、最強Domと名高い裕司がその第一号を志していることも、かなりセンセーショナルな話題として語られることになっている。
それもこれも、パートナーとして寄り添ってくれる澄生の存在あってこそだ。
(だがわたしは……明日には澄生を置いて、地元を離れてしまう……)
澄生は実家暮らしなので、退院したあともべつに自宅療養に困ることはない。
心配を口にした裕司に「オレはガキじゃねぇぞ」と澄生自身も笑っていた。むしろ離れがたく思っているのは裕司のほうだ。
すでに白衣ではなく、私服のリネンシャツ姿で廊下を歩く裕司は、愛用のクラッチバッグに忍ばせた平らな小箱を布地越しに指先で確かめながら嘆息した。
公的なパートナー登録も完了し、最良の相方同士であることも専門医を目指していることも、周囲は諸手を挙げて歓迎してくれている。
離れている間も会えなくなるわけではない。大変なはずの遠距離移動すら澄生は快く了承してくれた。むしろ順風満帆のスタートと言えるのだ。それなのに。
たったひとつだけ…………どうしても心を去らない不安。
コンコンと響いたノックの音に「あいよ~」と呑気な声が返る。
からりと開けたドアの向こうでは、相変わらず生徒たちに囲まれた澄生が、ベッド上のオーバーテーブルに広げられたゲーム雑誌らしい冊子を見下ろしていた。
「だからさぁ、どうせ退院したあとは何もやることないんじゃん? そのあいだにちょっとだけ試してみて欲しいんだってば」
「そうは言ってもなぁ。オレんちハードがないし、買い揃えるにしたって結構な金額だろ?」
「んじゃさ、俺んちに古いほうのゲーム機が余ってるから貸し出すよ、先生」
「いやいらないって。生徒から借りてまでやるほどオレ、ゲーム人間じゃないし」
「え~~~~~! 先生が話題についてけたほうが、親しみ易くっていいじゃん! こんどアニメのほうのDVDとかも持ってくからさ。一緒に見よ先生!」
「お前ら……オレが教師だってこと忘れてるだろ?」
「忘れてねぇよ。ちゃんと先生って呼んでるじゃん!」
「あ! 山峰せんせ~~~~っ!」
入口すぐの水回りがある一角で立ち止まっていた裕司を、窓辺で顔をあげた女子生徒がようやく気付いて振り返る。
その声に一斉に振り向いた生徒たちの真ん中で、澄生がパッと表情を明るくした。
「あ、なんだ裕司さんか」
「……うひひ。裕司さん、だって」
思わず澄生が漏らした呟きに、顔を見合わせた生徒たちがニヤニヤと笑いだす。
ポッと赤面した澄生が「あ、いや」と慌てる前に、生徒たちはパタパタと帰り支度を始めた。
「んじゃね先生! また来っから、それ考えといて!」
「山峰先生も、またね~!」
「あ、ああ、気を付けて……」
ニヤニヤ笑いが止まらない生徒たちは、挨拶もそこそこに足早に帰っていく。
取り残された2人は呆気にとられてそれを見送ってから、どちらからともなく顔を見合わせて苦笑した。
「武田先生は、すっかり生徒たちの人気者だね」
「まだ体育教師としては数日しか勤務してないんだけどな~」
ベッド横の椅子に腰を下ろした裕司に、澄生は雑誌を閉じながらカラカラと笑った。
雑誌を乗せた床頭台のうえにも、見舞客が置いていったのだろう雑誌やらミニゲームやらといった細々としたものが並んでいる。退屈しのぎにと持ってきたものだろうが、数が多すぎてまた看護師らに小言を言われてしまいそうだ。
それを見るにつれ、澄生がいかに人好きのする性格であるかを実感する。
「わたしの心配などは、本当に……杞憂だったみたいだな」
「うん?」
「もし離れている間に、君が不安定になってしまったら……と。わたしの考えすぎであることは承知しているんだが」
「……なぁ、それ、前から気になってたんだけど」
澄生はベッドのうえから手を伸ばし、まるで涙を拭うような仕草で裕司の頬骨あたりを指先で軽くつまんでから首を傾げた。
「なんで、俺がSub dropになることに拘るの? …………もしかして、あんたの生まれのことが関係してる?」
「……!?」

