「っきゃ~~~~~~~! 武田先生、それってっ!!」
週明けの月曜日。
中途採用の手続きのために訪れていた学校で、澄生の姿を見るなり素っ頓狂な声をあげたのは、休み時間に購買へ向かおうとしていたらしい門田だった。
「ついっ……にっ! 山峰先生と、正式契約したんですかぁ!?」
「ちょっ! 声がデカいって門田さんっ!」
慌てて口を塞いだが時すでに遅し。
なんといっても裕司は地元の有名人だ。その名は学生たちも知っている。あっという間に群がった生徒たちは興味津々に澄生を質問攻めにした。
「武田先生って、あの癒し系Domと付き合ってたのっ!?」
「ちょ、まじっ、いつのまにっ!」
「だって山峰先生ってパートナー作らないって有名だったじゃん!」
「なんで!? どこで知り合ったの先生!?」
「その首輪ってホンモノ!?」
「ねぇねぇ先生と山峰先生って、どんな風に……」
「あ~~~もう……いっぺんに喋ったって分かんねぇって! とりあえず落・ち・着・け!」
ポン、ポン、ポン! と幾人かの頭を叩き、ウズウズと見上げる生徒たちに苦笑した。
ついさっき職員室でも似たような質問をされたばかりだ。だが生徒たちのほうが無垢なだけに、下手な回答をすれば周囲からの誤解を招きかねず、伝える言葉には気を使う。
きっとここで答えたことは、あっという間に彼らの父母を通じて広まるだろうと覚悟の思いを噛みしめながら、コホンと咳払いをして語り始めた。
「とりあえず答えられることだけな。―――山峰先生とオレは、もともと学生の頃からの知り合いなんだよ」
出会いの詳細は省いて「昔、Sub dropを起こしていた時に、偶然通り掛かった彼に助けられた」とだけ述べ、8年ぶりに再会した際に自分が高ランクのSubであることが分かったため、ランクが高すぎて欲求を解消しきれず困っていた裕司にとって都合が良かったのだと当たり障りのない話をする。
「武田先生が高ランクって、どのくらい?」
「ん~~~~~ちゃんと調べたことはないけど、山峰先生は、おそらくAランクでも上辺か、Sランクに相当するかもしれないって言ってたなぁ」
「うわぁ~~そっかぁ。やっぱそのくらいじゃないと、相手務まんないんだぁ……」
しみじみと呟いたのは門田だ。
彼女はあの後、休み明けに再会した時にはすでに失恋の痛手も吹っ切っていた。
もともと叶わぬ恋だと分かっていたこともあり、成り行きとはいえ特別プログラムに参加できたことが彼女にとっても良い経験となったようだ。
とくにあの時に見た「王さまと騎士っぽい」プレイが、Dom/Subとして理想の姿だと印象付けられたそうで、彼女曰く『推しカプ』として2人の仲を応援してくれているらしい。
「そんなわけで、今後はオレも、保健体育の授業でダイナミクスの講義や指導を受け持つことになるから。困ったことがあればいつでも相談してくれ」
「きゃはははっ! そ~だよね~~」
「めっちゃ適任じゃ~んっ!」
ちょうどそこで、休み時間の終わりを告げるチャイムが鳴る。
大慌てで教室へ戻っていく生徒たちの中、澄生の袖をつかんだ門田は「こんど道場で続き! 絶対ね!」と叫んでパタパタと走り去っていった。
そうした経緯があって、澄生が裕司の正式なパートナーとなった事実は、数日のうちに地元の人々へと拡散されることになった。
先に澄生が高ランクSubであることを告げていたので、その理由について特別不思議がられることもなく、門田と同じくミーハー全開で普段の様子を訊きほじくられる。
むろん裕司を慕っていた女性たちからは妬まれたし、同性の恋人関係である点に否定的な意見も多かった。だが澄生の家族はむしろ8年越しの恋を実らせたのかと好意的で、驚いたことに裕司の父親からも、電話越しではあったが祝いの言葉が届けられたのだ。
山峰の親族すべてに受け入れられたわけでは無いようだが、その当主が容認してくれているなら大きな問題にならないだろう。
裕司は本当に、徹底的に澄生が不安になる要素を排除したかったらしい。
首輪を渡された翌日には自宅まで同行して澄生の両親に挨拶もし、マンションの合鍵や専用口座のカード等もすぐ用意された。
裕司の生家にはいま祖父母やお手伝いしか住んでいないそうで、山峰の家族との対面は後日ということになったが、幼少期からの守り役として雑務を引き受けてくれているらしい青年にも紹介された。
扱いはすでに山峰家の『嫁』だった。
見知らぬ他人の悪意や罵詈雑言までは防ぎようがないが、それを撥ね退けられるだけの自信をくれようとしていたようだ。
口癖のように繰り返す「Sub dropには陥らせない」という誓いのままに。
裕司がそれに拘る理由が明らかとなる事件が起きたのは、それから1週間ほど後のことだった。
探偵事務所に勤める知人が手渡していった封書。
調査報告書と書かれたそれに目を通していた裕司は、知人が文末に書き添えたらしいメモ書きを見て思わず溜息をついた。
「……更生の手間をかける価値はない……か」
読んでいたのは澄生が対峙した小林という男の調査報告だった。
正直言って裕司も知人の言葉に同感だ。読めば読むほどに、手の施しようがない男の性悪さが伝わってくる。
小林はもともと情性欠如型と呼ばれる人格障害の診断を受けていた。
彼の両親は共にNeutralで、Domとして発現する以前から息子に手を焼いていたこともあり、ダイナミクスによるイジメが発覚してからはますます腫れ物に触るような扱いとなってしまったらしい。
地元から離れた高校へ進学はしたものの、そこでも複数人のSubに乱暴を働いたことが切っ掛けで退学となり、以降は反社会的な者たちと連れ合うようになってしまった。
強要・恐喝・婦女暴行などさまざまな暴力沙汰を繰り返し、目立った刑務歴こそないが、警察からも要注意人物として知られているようだ。
澄生が勤める学校の女教師とどのように知り合ったのかは不明。だがその女教師とは1年ほど続いていたようで、彼女が入院してしまったことで寄る辺を失い、現在はゆきずりの女性たちの家を転々としているらしい。
Domとして更生うんぬん以前に、社会人としての人格が破綻してしまっている。一対一で向き合う覚悟でなければまっとうな道には戻せない人物だった。
医者として惜しむ気持ちがないわけではないが、裕司とて偽善者ではない。
澄生以外の人間と深く関わるつもりがない以上、小林ひとりに尽力することは不可能だ。かくなるはDom用の更生施設へ送るか、何がしかの理由をつけて塀の向こう側へでも留まってもらうしか澄生の安全確保を図ることができないのだが……。
(あと10日あまりで、何ができるというわけでもないか)
襲われる危険を口にした時、澄生は「オレは有段者だぜ?」と笑っていた。
実際彼は、小林と再会した日にも軽く捻り倒してしまったのだし、不意を突かれでもしない限りそうそう素人相手に負けはしないだろう。一方的な支配に抗うだけの強さもある。
澄生は裕司と釣り合うSubでいるために、精神も体も鍛えてくれていたのだ。そうまでして寄り添おうとしてくれるパートナーを信じなくてどうする。
そう思いはするものの。
なぜか……胸騒ぎが止まない。
脳裏を過ぎったのは、幾度も夢の中で見た澄生の死に顔だ。
「…………っ……」
一瞬こみ上げた情動に胸が焼けそうな痛みを覚えた。
もし澄生が、自分の手の届かぬ場所でSub dropになってしまったら。
駆け付けるのが間に合わず、この手をすり抜けていってしまったとしたら。
きっと自分は立ち直れない。耐えられない。
生きてなど……いられない。
「澄生……」
その時、ポッとスマートフォンが点灯した。すぐに呼び出し音が鳴りはじめる。
アプリを介して通話してきたのは思い浮かべていた当人だ。
まさか時空を飛び越えて宥めが届いたのだろうか。
ホッとしたような複雑な思いのまま通話に出ると、いきなりガサガサガサッ!と乾いた物音の向こうで澄生が叫んだ。
『やばい……ゆ……じさんっ! ……どたさんが……さら……れ……て……!』
「え?」
『あいつ……小林が……うちの女子生徒を……っ!』
「……! 澄生っ、いまどこにいるっ!?」
『オ……レはっ……道場近くだけど……あいつ、オレの前で、躾ける……とか、言ってて……このままじゃ、門田さ……が……』
走りながらの切れ切れな言葉。だがそれでおおよその状況は掴めた。
澄生を思い通りに従えられないことに腹を立てた小林が、澄生の教え子であり、妹弟子でもある門田に目をつけて揺さぶりをかけようとしているのだろう。
(胸騒ぎの原因はこれだったのか……!)
通話したままキッチンカウンターに歩み寄った裕司は、端に置いていたタブレットを開いて澄生のスマートフォンの現在地を確認した。
いま澄生がいるのは、彼が手伝いをしている道場付近にある県道。そこを南西方向へと移動している。先にあるのは娯楽施設やデパートなどが立ち並ぶ商業集積エリアだ。
その脇の幹線道路とは陸橋で交差して北側へ向かう国道沿いに建つのはホテル街。仮に女子生徒を連れた小林が立て籠もるとすればそのいずれかだろうか?
「分かった。アプリで位置情報は掴めているから、そのまま救出に向かってくれ。ただし無茶はするんじゃないぞ!? こちらも応援を要請してからすぐに向かう!」
『りょぉ……かいっ!』
ふつっと通話が途切れる。
赤いアイコンが表示された画面を見下ろしながら、つい拳をテーブルに打ち当てていた。
焦るな、焦るなという言葉が頭の中を木霊する。
澄生は無事だ。まだ最悪の事態にはなっていない。
いま焦って考えなしの行動をすればそれこそ取り返しがつかない事になる。
そう逸る気持ちを抑えつつ、知人の刑事に初動対応を依頼した裕司は、タブレットを引っつかんで足早にマンションの部屋を走り出していった。

