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#15 裕司の悩み

Dom/Sub専門医、始めました♪

澄生と再会してから、ひと月ほどが経過したある日。
卓上カレンダーを見つめながら溜息をついた裕司の背後で、ふいに「んあぁ」と間延びした声が響いた。

「そういや、あと3週間かぁ。はぇえよなぁ」

「鈴木」

白衣のポケットに片手を突っ込んだまま覗き込んでいたのは同僚の鈴木医師だ。
外来を終えて医局に戻ってきたばかりだったらしい。誕生日に愛妻がくれたという某テーマパークでお馴染みなネズミ柄のマグカップを傾けながら「ところで」と呟く。

「結局お前、初期研修以降の出向先は決めたの?」

「……いや。まだ、迷っている」

「返事は今月中って話だろ~? 熊田教授はこのまま残って欲しそうにしてたけどな」

「ああ。ついさっき教授本人にも言われたよ」

「けど、お前の器用さはただの心療内科医にしとくのは勿体ねぇんだよなぁ。いまからでも目指そうと思えば、心臓だろうが脳外だろうが、余裕綽々ってとこだろ?」

「買いかぶりすぎだよ。そもそもわたしには外科医を志すつもりがないし」

「勿体ねぇなぁ」

肩を竦めた鈴木医師は、首を振りながら自分の席へと戻っていく。
見るともなくそれを見送りながら、裕司は再び溜息をついた。

(勿体ない……か)

大学時代からずっと言われ続けてきたセリフだった。
裕司はもともと器用なタチで、勉学も運動も人並み以上に熟せてしまう。
手先が器用で、診断センスや読影力に優れ、リーダーシップもあり、もともと人当たりがいい性格なので患者へ向き合う姿勢も真摯かつ誠実だ。教授連は口を揃えて外科医向きの人材だと言い、在学中の友人たちの大半も外科を志望するものだと思っていたらしい。

しかし本人は、まったく外科医になるつもりがなかった。
確かに難しい手術を熟せるようになれば多くの患者を救えるのだろうが、それは裕司でなくともできることだ。そもそも手術室に籠っていては己の才を活かせない。せっかく並外れて強いDomとして生まれてきたのならそれを人を救うために役立てたい。
そうした思いで、ダイナミクス研究の第一人者として知られた熊田女医に師事し、心療内科医を志すべく努めてきたつもりではあるのだが。

このところの交流で、少しずつその想いが変化しつつある。

いまのところ、ダイナミクス専科の診療科は存在しない。
心療内科の範疇として留まっているのは、対応する医師にDomが少ないせいだ。
単に診断や投薬を行なうだけなら普通の医師でも可能だが、先日の病院内で起きた暴走のような出来事があった場合、ある程度の力を持ったDomでなければ対処ができない。

だが力のあるDomはたいてい自己顕示欲が強いため、医師となっても外科や救急といった華々しい活躍の場へ行ってしまう。ゆえに、対応可能な医師が増えないという現状となってしまっているらしい。
学生時代からケアの出張を頼まれていたのも、結局はそれが理由だった。

さらにいえば、Subに対する受け皿は数多あっても、”Domの心のケア”に対応する環境は少ない。マッチングによる出会いか、発散場所としての風俗店などがあるだけだ。そもそも支配する側に差し伸べる手が必要だとは考えられていないせいもあるのだが。

しかしプレイ環境に恵まれていた裕司ですら、相性のいいパートナーが見つけられずに無自覚の欠乏を抱え込んでいた。必ずしもDomの精神が安定しているわけではないのだ。
むしろそうした背景があるからこそ、このところニュース番組を沸かせているような事件が頻発しているのではないだろうか?

ならばいっそ、裕司が専門医としての道を拓き、もっと多くのDom医師がダイナミクス診療に関心を抱くよう目指していくことこそがもっとも正道であるはずだ。

唯一の懸念点だった力の暴走という問題も澄生のおかげで解決しつつある。
あとは心療内科医として充分な診療実績を積み、いずれDom/Sub専門医としてクリニックを開業できればと考えているのだが……。

そのためには、まず解決しなければならない大問題があった。

(後期研修と論文作成の手間を考えれば、少なくともあと数年。その間、澄生との生活をどうするべきか……)

この病院に勤め続けることも選択肢ではあるが、経験を積みたいなら診療件数が多い都心の病院に戻るべきだ。だがそれでは澄生を置き去りにすることになってしまう。
本音を言えば彼を連れて行きたい。切り出せば澄生も了承してくれるだろう。しかし……地元で積み重ねてきた彼の生活を奪うことはしたくない。

それに、サラリーマンならともかく勤務医の生活は不規則だ。
なにか不調が起きた際にすぐ駆け付けられるとも限らない。そんな中で慣れない環境に連れていけば、いらぬ負担を掛けることになる。それでは本末転倒だろう。

「う~~~~~ん……どうしたものか」

悶々とし過ぎて思わず漏らした呟き。隣の席にいた年配医師が苦笑した。

「めずらしいな? きみがそんな風に眉間を寄せて考え込むなんて」

半分が真っ白になった頭髪を後ろへ撫でつけた渋面の医師は、目を通していた医学書らしい冊子を置いて怪訝そうに問い掛ける。

「どうしたんだね。なにか、診療の悩みでも?」

「ああいえ。じき研修期間を終えるので……その、相方にどう話したものかと」

すると「ああ」と頬肘をついた彼は、裕司の持つカレンダーに目を落とした。

「そういえば最近パートナーができたと言っていたっけ? そうか、ダイナミクス保持者にはその問題もあるんだよなぁ」

「彼を手の届く場所に置いておきたいのは山々なんですが、しかし」

「まぁそれは、きみひとりで考え込んだところで解決はするまい。それこそパートナーと腹を割って話し合うべきじゃないのかね?」

「そう……ですね」

薄々は分かっていたことをズバリ指摘されて、裕司は再び溜息をついた。
どうも自分は、ひとりの考えで全てを解決しようとしがちだ。自身に都合のいいことばかりを並べて、人のいい澄生の返答の幅を狭めてしまいそうなことが怖かった。
だが確かに、事情を打ち明けもしない内から想像で悩んだところで仕方がない。そもそも澄生がどうしたいかは、本人が考えて決めるべきなのだから。

「彼に、相談してみようと思います」

うんうんと穏やかに頷く年配医師に会釈して、裕司はさっそく澄生との約束を取り付けるべく自分のスマートフォンへと手を伸ばした。


一方、ちょうど同じ頃、澄生の側でもひとつの転機が訪れていた。

「え、オレを教科担任にですか?」

目を見開いて驚く澄生に、向かい合う教頭は卓の上の両手を握って頷く。
話が聞こえていたらしい幾人かの教師が視線を向ける中、肩を竦めた教頭は、ゼブラ柄の眉を僅かに寄せて溜息をつくように続けた。

「先週起きた、田中先生の救急搬送の話は、君も聞いてるだろう?」

「ああ、はい。空手部の子たちからききましたけど」

「彼女は最近パートナーの男性から一方的に関係を断たれたらしくてね。当面は入院治療が必要だってことで依願退職することになったのだよ。とはいえ、2学期が始まったばかりのこの時期に保健体育の免状を取得している教員を見つけるのは一苦労でな」

「は、はぁ」

「さいわい君は公立の教員採用試験にも通っているし、生徒たちからも慕われているだろう? ひとまず残りの学期を受け持ってもらって、来年度以降もぜひ教員として残ってくれたらと思うんだが、どうだろうか?」

「えっと……ありがたい話じゃ、あるんすけど……」

澄生は教頭卓に目を落としてジッと考え込んだ。

願ってもないチャンスだった。
もともと教師を志して教育学部を専攻したのだし、就職難なこのご時世「来年以降もぜひ」と望まれるのは実にありがたい話だ。これまではパートナーがおらず、急な体調不良を起こしやすいSubだったことが二の足を踏ませていたのだが、その懸念もすでに無くなった。

ダイナミクス保持者の義務として、学校側にもパートナーができたことは報告している。だからこそ中途採用の話が持ち上がったのだろうことも分かるのだが。

気まずい表情のまま顔をあげた澄生は、後ろ頭をかきながら教頭を見つめ返した。

「申し訳ないっす。返事は少し、待っていただけますか?」

「なにか懸念することでもあるのかね?」

「こればっかりは……その、パートナーの意向を確認してからでないと……」

「ああ、それはそうだな」

教頭はすぐに首肯し、壁に貼られたカレンダーを見遣りながら続けた。

「返事はいつ貰えるだろうか? いまは他の先生方が交代で穴を埋めてくれているのだが、駄目なら駄目で、なるべく早く次の手を打ちたいところでね」

「あ~~~~~っと……遅くとも週明けには」

「分かった。急かしてしまって申し訳ないのだが、よろしく頼むよ」

「了解っす」

頷いた澄生は、興味深げに見ていた教師たちにも会釈して職員室を後にする。
ちょうど5限目の終わりを告げるチャイムが鳴り、教室からはホッと息をつく生徒たちが雪崩れだしてくるところだった。
顔見知りの生徒の幾人かが、部活動以外の時間に澄生が来ていることを不思議がって声を掛けてくる。勘のいい彼らはその理由も察しているようだ。無邪気な笑顔に手を振って通り過ぎながら、いつになく気持ちが揺れているのを感じていた。

正直を言えば教頭の依頼を受けたい。
教科担任とはいえ、あの子たちの元気な姿を見守る立場になれるなら本望だ。
だがそうすると裕司のあとを追うことができない。それが迷いの根っこだった。