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#09 前提のお話

Dom/Sub専門医、始めました♪

パチン! ジ……と天井の灯が点る音が響く。
病院内は冷房が効いているが、閉め切られていた部屋は少し空気が籠って生温い。
50㎝四方ほどの格子柄のラグマットが敷かれた室内は、壁にプレイ用の小道具が収められた棚があるだけで、ガランとした殺風景な部屋だった。
正面に開けた窓の外は夕暮れ。連れ立つ5人の姿が薄っすらと映り込んでいる。

裕司は窓へ歩いてブラインドを下ろすと、棚の横に畳まれていた折り畳み椅子を5つ引っ張り出して車座くるまざに並べ始めた。

自身の右側からは共にSubの門田と澄生を。
左側からはSub男性の笹田と、Dom女性の宮内という順で輪になるよう指示する。
グループカウンセリングやミーティングに使われる手法だ。
高校生の門田には、ここへ辿りつく前に家族に連絡をさせ、ダイナミクスに関連する特別プログラムに参加するという名目での許可もすでに取り付けてあった。

「さて、あまり遅くなってもいけませんので、さっそく始めましょうか」

それぞれに畏まった表情で座る4人を見渡し、裕司は穏やかに語り掛けた。

「まず、前提の話から参りましょうね。宮内さん、笹田さん。あなた方はそもそもダイナミクスについて、どの程度の理解をされていらっしゃいますか?」

「え。どの程度、って訊かれると……答えにくいんですけど……」

「中高の授業で習った程度にしか」

2人はどちらもパチパチと瞬き、面食らったような顔をしていた。
話し合いで互いの不満を解消するはずが、他人も交えた前提の話から始めているのだから困惑するのは当然だろう。だがそこが裕司の狙い目でもある。

「ふむ、そうですねぇ。およそ流通しているのは、ダイナミクスとは遺伝子由来の特性であり、Dom側には支配の、Sub側には従属する本能が存在する。互いの欲求を解消するためには、プレイというコミュニケーションを必要とし、それにはコマンドと呼ばれる命令と、それが実行された際のご褒美リワードが与えられる……といったところでしょうか? 門田さんと武田先生も、ここまではよろしいですね?」

「うん! 授業でそう習ったよ!」

「それがだいたい世間一般に知られている話ですよね~」

元気な女子高生と青年も、ノリよく話を合わせて首肯する。
講義の体で人差し指を立てた裕司は、宮内と自分を指差しながら続けた。

「Domの欲にはいろいろとあります。相手を支配したい、服従させたいといった束縛する類いのものから、世話をしたい、甘やかしたいといった庇護欲を伴うものまで多種多様です。さしずめ、わたしなどは『癒したい』になるわけですが」

「あははっ! 山峰先生は癒し系Domですもんね~!」

「支配する側なのに『癒す』というと怪訝な顔をされる方もいるのですがね。自身が施す処置によって生かしも殺しもできる。これも相手を欲のひとつの現れなのですよ」

言いながら裕司はチラと右手を流し見た。
自分自身でも思っていたのだ。己の欲の種類は癒しであり、医者として数多の患者Subを躾けることで、充分に満たされているはずだと。

だが……彼とのプレイで気づかされてしまった。
自身の内に眠っていたもうひとつの欲―――暴れる獣の存在に。

そんなことはおくびにも出さぬまま裕司は、何げない素振りで宮内へと顔を戻す。

「一方でSubの欲もさまざまです。支配されたい、尽くしたいというものが一般的ですが、甘えたい、守られたいという愛情や加護を求める方もいらっしゃいますし、縛る・殴る・打つといった手酷いプレイでなければ承認欲求が満たされないという方も一定数いる」

正面へ向けた視界の端、膝の上に乗っていた手がギュッと拳を作った。
宮内がスッと目を逸らして唇を噛む一方で、無邪気な女子高生は眉根を寄せ「え~~」とさも嫌そうに呟く。

「最後のだけわかんないなぁ。あたしまだプレイってしたことないけど……Subだからって何で叩かれて幸せとかって思えるのか、全然意味わかんない」

「……ははっ、ダイジョブ。それが普通のSubの感覚だから」

「まぁそれはダイナミクスだからというより、個人的な趣味嗜好の話ですからね。しかしNeutralやDomの中には『Subは全員、虐げられるのが好きなのだろう』という誤解をされてる方が多い。おかげで一方的なプレイによりSubが心的外傷トラウマを抱えてしまうケースも多くて、わたしのような医者に需要があるわけですが」

「あ、あのっ……山峰先生はっ」

話を聞きながらチラチラと隣を伺っていた宮内が、堪えかねたように口を挟んだ。

「いろんなSubの方とプレイされてますよねっ? い、いまのお話ですと……その、手酷いプレイが好きって人のお相手をされたこともあるんでしょうか?」

「ええ。ありますよ」

「そ、その場合、先生はどのようにご自身の欲と向き合ってらっしゃるんでしょうか! わ、わたしもその、優しくしたいってタイプで、なじったり痛めつけたりみたいなのは好きじゃないんですけど、彼のほうが鞭とか…………って、あ、その」

勢いで言いかけて、この場に未成年がいることを思い出したらしい。
慌てて口を噤んだ宮内は頬を染めて俯いた。
その隣では唇を真一文字に結んだ笹田が、拳を握ったまま震えている。

やはりな……と、裕司は胸の内で呟いた。

おそらく暴走の原因は、宮内側のセルフイメージとのギャップ。
彼女がDomであり、カッとなって暴走を起こした事実がある以上、加虐や束縛をしたいという欲求も少なからずあるのだろう。でなければ被虐嗜好を持つ笹田との仲は続かない。
しかし子供っぽい見た目の印象と、優しく可愛らしい女性でありたいという願望も強く、その両方が彼女の中で矛盾してしまっている。

そして笹田も、見た目通り頼りがいのある男でありたいという建前と、SubとしてDomに躾けられたい本能との間で揺れているのだ。互いが不満を抱えてしまうのも無理はなかった。

「わたしの話などよりも、笹田さんの側はどう思ってらっしゃるのです? 先ほどから、何か仰りたいご様子ですが」

「あ…………えっと……ぼくは、その……」

口籠った笹田は、パートナーの反応を気にしてかなり長く逡巡しゅんじゅんしていた。
やがてカチカチと時計の音が耳に付き始める。

静寂に耐えかねた少女が「む~~」と呟き、不満げに口を開こうとしたところで、泣きそうな顔をしたまま身を縮めていた男がようやくボソボソと呟いた。

「痛いのが……好きじゃなくて……」

「え?」

「た、たまに……ちゃんと……お仕置きをして欲しいとは思うけど……普段のプレイで痛めつけられたいってわけじゃ……」

「は!?」

ガタンッ!と音を立てて宮内が立ち上がる。
怒りか、思わぬ返答への戸惑いか。ビクビクと首をすくませる笹田に向け、体の脇で握った両手をわなわなと震わせながら早口に叫んだ。

「だって、SMグッズまで買ってきて打って欲しいって言ったじゃないっ。それがSubとしてのあなたの願望なら叶えなきゃって、わたしっ!」

「さ、さやちゃん、優しいから……ぼくが、命令に従えなくても怒らないし。で、でも、悪いことをした時に叱ってくれないのは、不安になるっていうか。し、信用して貰えてないのかなって」

「………………そんな……叩かれたいって言うから……わたし、てっきり……」

「痛くても、さやちゃんにされることなら嬉しいから、それもいいなって思ってたけど。さやちゃんのほうがだんだん辛そうになったから……ぼくも苦しくて。よ……余計なことを、言わなきゃよかったって」

「なるほど。やはり、根本的なところでの擦れ違いがあったようですね」

笹田が求めていたのはDomパートナーからの信頼。
コマンドによって躾けられ、うまくできれば褒められ、失敗すれば仕置きを受ける。その全幅を委ねられるのはパートナーだけだ。

Subは痛みそのもので満たされるわけではなく、それを耐えた後に与えられる誉め言葉リワードによって相手に許されているという安心感を得たいだけなのだから。