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#06 君が欲しい

Dom/Sub専門医、始めました♪

これが少女漫画やアニメだったら。
そっとハンカチを差し出して「君の思いは、きっと届くよ」な~んて、気の利いた励ましのひとつも言うべきだろうけど。
胸に縋りついて泣く女子生徒のつむじを見下ろしながら、澄生はそう胸中で独り言ちる。

場所は空手部顧問として勤務する、とある中高一貫の共学校。
その校内の部活棟と呼ばれるどっしりとした建物の中にある道場だ。

この建物には柔道部・剣道部・空手部の部員たちがそれぞれ使用する道場がある。
つい20分も前までは部活を終えた生徒たちで各所が賑わっていたのだが、今時間は、用具の片づけに居残っていた生徒たちがチラホラいるだけだ。

みな帰り支度に忙しく、部屋の片隅に立つ自分たちに注意を向ける様子はない。
だから、見ようによっては澄生自身が女子生徒を泣かせているように誤解されかねないこの状況を気に病む必要が無いことだけはありがたいのだが。

門田かどたさんさぁ……そろそろ、泣き止んでくんないかなぁ?」

少女の後ろ頭を叩きつつ溜息をつくと、胸から顔をあげた女子生徒は止まらない涙を片手で拭いながら「ごめんなさい」と呟いた。

「う……ぐずっ……ごめっなさ……先生、あうう……」

「君の気持ちは分かるんだけどな。こればかりは正直言って、その、見込み薄っていうか。相手が悪すぎるというか……ね?」

「わ、分かってるんです……あたしじゃ全然釣り合ってないって。けどっ、しょうがないじゃないですか! 好きになっちゃったんだもんっ!」

「だもん、と言われましても。う~~~ん」

もう10分近く似たような問答を繰り返している。
いまだ道着をまとったまま泣いている少女……門田由美子は、高等部2年の空手部員で、澄生が手伝いをしている道場の門下生でもある。
同門ゆえの気安さで、他の生徒たちよりは気心が知れている。そのうえSubだ。

澄生は過去の経緯もあって自身がSubであることを公にしている。
そのためダイナミクスが発現した生徒たちから悩み相談を受けることが多く、今回もその一環のはずだった。

だがしかし。今回の彼女の相談は、澄生にとってあまりにも間が悪い。
なんと県立病院に勤務するとある医師に恋をしてしまったというのだ。

その医師の名は山峰裕司。現在、研修医として心療内科に勤める、県内でも有名な癒し系Dom。ついでにいえば8年来の澄生自身の思い人でもある。

じつは2週間前の再会は、この門田がした雑談を切っ掛けに実現したものだった。
医学部への進学で上京していた山峰家の次男坊が、どんな理由でか研修先として地元の病院を選んで戻ってきているらしい。たまたま診察で遭遇したと話す門田からきいた、その「優しいDomのお医者さん」が間違いなく彼だろうと確信し、勇んで出かけた病院前の信号で姿を見つけた時には、居ても立ってもいられずについ呼び止めてしまったのだが。

「山峰先生にとっては、あ……あたしなんて、ただの患者だって……ぐすっ……分かってるんですよぉ~~~……でもぉ……うぇえええ……」

「あ~~~よしよし。もう泣くな、泣くな」

泣きたいのはこっちだよ……と内心でぼやきつつ、澄生は再び大きく溜息をついた。

(その山峰センセが、オレと付き合ってるっつったら……修羅場だよな~)

この場合の最大の問題点はそれだ。


あの日。ハッと気づけば夕刻で。
隣には当直明けで疲れていたらしい裕司がぐっすりと眠っていた。
慌てて布団をめくってみると、下着だけは新品だったものの衣服は元どおり着つけられていて、いろいろと居たたまれない気分になったのだが。

その後、帰宅途中に買ってきた総菜とビールを前に改めて語り合った彼は、少し緊張した面持ちで「パートナーになってくれないか」と言い出したのだ。

「………………えっ」

正直、耳を疑った。
まさか彼のほうから切り出されるとは思っていなかったから。

夕飯前に目覚めた時には、裕司は何事もなかったように淡々としていた。
澄生が恋心を抱いていると察していても敬遠する素振りはないし、ちゃんと望むプレイをしてくれた。
というか期待以上だった。優しくも強烈な焦らしプレイのおかげで熟睡できた体は嘘のように軽くなり、思いっきり発散できたことで気分も爽快。

しかし彼は異性愛者だ。「そういう関係を求めているのか」と訊ねたあれも、澄生の気持ちを汲んでくれていただけで、彼にとって医療行為の一環に過ぎないのだろう。プレイ前と変わらない態度で接してくれる裕司を眺めながら(そう、都合よくはいかないよなぁ)と、諦めの思いを噛みしめていたところだったのに。

思わず固まった澄生を見て、切れ長な目元を曇らせた裕司は、真っすぐな黒髪を片手でかきあげながら気まずげに「ダメ、かな?」と呟いた。

「やっぱり……こんないきなりじゃ」

「いやいやいやいやっ! ダメじゃないっす! お、オレは嬉しいんですけど、そのっ!」

テンパりすぎて片手に持っていたビール缶を落としそうになり、慌ててテーブルに戻して深呼吸する。

「せ、先輩は、パートナーは作らない主義だって、聞いてた……んすけど?」

これも地元じゃけっこう有名な話だった。
中学生の頃から延べ三桁にのぼる数のSubを相手にはしていたものの。裕司は一度もパートナーを持ったことはなく、どんな相手にも興味を示さなかったらしい。

そもそも彼には飽きるほどプレイ希望者がいるのだから、あえてひとりに絞る必要がないのだろう……というのが、もっぱらの噂だったのだが。

「ああうん。みんな断ってたね」

「な、ならなんで、オレに?」

「わたしが選んだ相手だからさ」

「へ???」

「わたしは君というSubが欲しいと思った。それ以外の理由が要るかい?」

「や……ま……そう、なんすけど……」

聞きたいのは、彼が自分を欲しいと思ってくれた理由のほうだ。

彼は国内でも有数のリゾート運営会社の社長令息。
上に兄姉がいるので家業を継ぐ気はなかったようだが、医学部に首席合格するほどの秀才なうえ、器量も良ければ顔も良く、性格は真面目で穏やか。そのうえSSランクのDom。

病院へは電車やバスで通勤していたり、コンビニで買い物をするなど、御曹司らしからぬ暮らしぶりであることは意外だったが、高級マンションに1人暮らしをしていることといい、着ている衣服や室内の調度品のどれを見ても紛れもなく上流社会ハイソサエティに属する人種のひとりだ。
当たり前の話だが周囲からさまざまな意味で期待する声が高く、結婚や交際を求める相手などそれこそ掃いて捨てるほどいるだろう。

一方の自分はと言えば、いちおう公立4大の教育学部を卒業してはいるが、いまはしがない部活動指導員。顔も平凡だし、知能も身体能力もごく普通。しかも男だ。他人と比べて裕司が興味を持つような特記事項があるようには思えないのだが。

「なんで、オレを選んでくれたんですか?」

混乱する頭でしばらく考えた後、おそるおそる訊ねてみると。
裕司が目を細め、いきなりグンッ!と意識が引っ張られるような感覚がした。

ザァ~~~っと肌が泡立つような痺れと共に、背筋をゾクゾクと快感が走り抜ける。いっそ暴力的だと思えるほどの強烈なGlareだった。

すっと目の前に差し出された指先。
見れば人差し指の先を、彼が食べていた焼き鳥の串のタレが汚している。

「《舐めてLick》」

優しく囁かれた命令。
何を考えるでもなく、無意識にその指を舐めていた。
指の先から第二関節までを丁寧に。
ぐっと惹かれるような感覚がして目を向けた先、隣の親指の先も汚れていた。
同じように舐めとると「ふふっ」と笑い声がした。

「《いい子だGood boy》」

穏やかな声に含まれていた、ひどく満足気な響き。
聞いた澄生の胸に、彼の命令をという奇妙な達成感が生まれた。
過去に会ったどんなDomに対しても感じることのなかった感覚だ。

「君はおそらく相当な高ランクのSubなのだろうね。いまも普段使う威力に比べたら数倍のGlareを放っているのだけど、君はまったく理性を失うことがない。そのくせ、言葉にはしない真意までを読み取って動いてる」

「あ~~~……そう言われれば、すっごい気持ちくてゾクゾクはしてっけど、コマンドに操られてる感はあんま無いっすね。自然に……体が動くっていうか」

「ここまで深く支配させてくれる相手に出会ったのは、初めてなんだ。だから」

目の前にあった手がするりと頬を撫ぜた。
優しい仕草で顎を持ち上げながら、熱の籠った眼差しが澄生の心を射抜く。

「君が欲しい。わたしのパートナーに、なってくれないかな?」

手を差しのべているのは、幾度も夢に見るほどに恋焦がれていた愛しいDom。
そんな彼に真正面から情熱的に請われて、否などと言えるわけがなかった。