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#02 信号待ちをしていたら

Dom/Sub専門医、始めました♪

研修医生活2年目の夏。
信号待ちをしていた山峰裕司を呼び止めたのは、こんな怪訝そうな声だった。

「あの~~~~もしかして……山峰センパイっすか?」

「うん??」

直後にキュウキュウという電子音が鳴り響き、人波が動き出す。
ちょうど信号機の真横にいた裕司を呼び止めた青年は、無意識の仕草でか、シャツの後ろ袖を掴んで引き止めながら焦ったような表情で言った。

「間違ってたら申し訳ないんっすけど、えっと、その、久野くの高で生徒会長してた山峰裕司さん……ですよね?」

「あ、ああ。そうだけど」

「よ、良かったっ。先輩、見た目はあんま変わってないけど、さらにスパダリ感が増してっから……別人だったらど~しよ~かと」

晴天の空から射す陽射しで照らされた額に、薄っすらと滲んだ汗。
それを片手で拭いながらホッと息をついた青年を見下ろして、裕司は(誰だ?)と内心で首を傾げていた。

頭半分ほど低い位置から見上げていたのは、日に焼けた小作りな顔に嵌め込んだ、猫を思わせるような黒目がちの瞳だった。

歳はおそらく自分よりも3つか4つほど若い。薄茶に染めた髪はサラサラで、柔らかそうなサマーセーターに黒のパンツというラフな恰好がよく似合う細身をしている。パッと見は今どきのチャラい大学生といった風情だが、袖から伸びる腕や肩が幼げな顔の印象を裏切るような盛り上がり方をしていた。いわゆるアスリート体型というやつだ。

とっさに親しかった後輩たちを思い浮かべたが、該当する顔はない。
そもそもここは、地元ではあるが通っていた高校からは5~6駅分ほど離れた場所。進学を機に上京してから8年近く過ぎているので、先輩と呼び止める人物の心当たりが乏しかった。

「え~~っと済まない。知り合いだったら申し訳ないんだけど、わたしのほうに君の記憶がなくて。どこかで会ってるかな?」

「や、先輩が覚えてないのは当然っす。オレが会ったのは一度きりですし。けど先輩は地元じゃ有名人だったから、オレのほうは勝手に知ってたっつ~か」

「ん、でも、一度会ってはいるんだね?」

「あ、はい」

頷いた青年はそこでなぜか妙な顔付きをした。
袖を握っていた指先に力が入り、自問するように沈黙する。サラリと落ちかかった前髪。その下で不安そうに瞳を揺らがせてからボソボソと続けた。

「うっと……先輩は覚えてないかもですけど……8年くらい前に、八柳やなぎ町の高架下でイジメられてたオレを、通り掛かりの先輩が助けてくれて」

「え? …………―――ああ! あの時の子かっ!」

八柳町の高架下、という言葉から当時の記憶が蘇る。
そうと知って思い返せば確かに、上目遣いなその丸い瞳に、かつて見た少年の面影があるような気がした。


それは高校3年の秋ごろのことだった。
生徒会の引継ぎを終えて最寄り駅へ向かう道の途中、遠くから聞こえてきたゲラゲラという笑い声に導かれて、いつもなら通らない田んぼ道へと足を向けた。
下校途中の生徒たちの悪ふざけなどは珍しくもない。普段なら関わりあいになることを避けて近寄りもしなかっただろう。なのになぜかこの時だけは、助けを求める呼び声のようなものを感じて吸い寄せられたのだ。

近づいてみると、幹線道路が通る高架橋下の暗がりに学ラン姿の少年たちが屯しているのが見えた。見覚えのある制服からして近所の中学校に通う生徒らしい。

住宅地からは離れた田園を跨ぐ高架なので、夕暮れのこの時間は人通りがほとんどない。ポツポツと立つ道路上の常夜灯だけが周囲を照らす中、変声期前の少年たちの声はよく通る。最初は子犬をでも小突き回しているのかと思ったのだが、その会話の中に「咥えろ」だの「舐めろ」だのといった不穏当な単語が混じるのを聞き取って眉を顰めた。

よくよく見れば、足元に這いつくばっていたのは小柄なひとりの少年だった。
彼らの周囲には学ランや靴、鞄、教科書などが散乱している。
その真ん中で仰向く少年は白いシャツしか纏っておらず、泥だらけの下半身は剥き出しの状態。不自然に高く上がった顎先からは涙と唾液が滴りおちていた。
遠目にそれを見取った裕司はすぐに状況を察した。あれはSubの特性を悪用した少年たちのイジメだ。

「お前たち、そこで何をしている!?」

突然の大喝に、屯していた少年たちが揃ってビクッと飛び上がった。
ブレザー姿だったとはいえ、裕司は180センチを超えた長身で、見た目も品行方正が建前な生徒会長らしく普通の高校生よりはずっと落ち着いていた。
振り返った彼らは、怖そうな大人に自分たちの悪行を見咎められたと感じたのだろう。やべぇ!などと叫びながら大慌てで鞄を拾い上げ、足元の少年には目もくれず一目散に逃げていく。

足早に歩み寄った裕司は、取り残された少年にブレザーを着せかけながら問い掛けた。

「君、大丈夫かい!? 俺の声は聴こえてる?」

「…………っ……ぅ……」

カタカタと身を震わせる少年の瞳の焦点は合っていなかった。
額にはびっしりと汗を浮かべ、真っ青な顔で、地面に縫い留められたように四つ這いの姿勢のまま虚空をみあげている。小さく開かれた唇から響くヒュッヒュッという音。涙でグチャグチャにしたまま絶望したようなその表情をみれば、何が起きているのかは一目瞭然だった。

(コマンドが入ったままか)

逃げ出した中学生たちの中にDomがいたのだろう。
彼らが面白半分にコマンドで従わせたまま放置したせいで、Sub dropサブドロップに陥ってしまっている。さっき怒鳴った裕司の声にも影響を受けているらしい。まずはこれをどうにかしてやらなければ精神にダメージを負ってしまう。

ブレザーのうえから腕を回して上半身を支えながら、気付けのためのGlareを当てる。それに反応した少年がビクリと体を震わせた。彷徨っていた意識がこちらのコントロール下へと入ったことを確認してから耳元へそっと囁いた。

「もう動いていいよ。《いい子だねGood boy》」

「う……あ……っ」

途端にガクッと少年の手足から力が抜けた。地面へと崩れかけた体を片腕で支え、膝裏へもう片方の腕を回して引っ繰り返し、そのまま両腕に抱いて立ち上がる。
散らばった衣服などは後回しだ。まずはこの子をケアしなければ。そう思いつつ橋脚の壁に背を預けて腰を下ろし胡坐に細い体を囲い込んで抱き寄せた。
裕司の肩に力なく頭を預けた少年は、額に張り付いた前髪の間から虚ろな表情で見上げていた。

「……っ……っ……ぅ……」

「よしよし。慌てなくていいから、ゆっくり戻っておいで」

ポロポロと涙を零す瞳に視線を合わせ、そっと包むようにGlareを注ぐ。
医学的に立証されているわけではないそうだが、経験則で自分の力がSubの精神を安定させる効果があることは承知している。だから裕司はいつも、誰かのケアを行う際には必ず癒しのイメージでGlareを当てるようにしていた。
すると、数分ほどでドロップの状態からは脱したらしい少年がパチパチと瞬きをした。

「……っ……あ……オレ……」

「ん、OK。何とか浮上できたみたいだな」

「う……ぅ……めんなさ……オレ、知らないひとに……すごい迷惑……」

「謝ることなんてないよ。悪いのは君を放置したまま逃げてったあいつらだ。君は八柳中の子かい? ダイナミクスを悪用したイジメはよくあることとはいえ、とんだ災難だったね」

背をさすりながらそう語り掛けると、少年はクシャリと顔を歪めた。
ひくひくとしゃくりあげながら涙声で訴える。

「……や、やだっていったのに……面白そうだから、オレで、試すとかって……」

「うんうん。集団検査なんかがあった後はどうしても、そういう興味を持つ子がいるんだよなぁ。おかげでこの何年か、あちこちから呼ばれて大変だったけど」

「……?」

「ああ、俺はね、なぜだか不調を起こしてるSubに遭遇する機会が多くって。その子たちの面倒を見てるうちに周りから『癒し系Dom』とか呼ばれるようになっちゃってさ。噂をきいたひとたちから、プレイやケアを頼まれるようになったんだよ」

怪訝そうに見上げる少年の頬を撫ぜながら、思えば妙なものだと裕司は苦笑する。

この世界で【ダイナミクス】と呼ばれる特性の存在が周知されるようになってから、かれこれ数十年が経過しているらしい。自分が生まれる前の話だから詳しい経緯などは知りようもないが、授業で習う限りでは、もともとは多種多様に広がりすぎた人々の『欲』がひとつの進化の形として現れたものであるようだ。

このダイナミクスはおもに4種類に大別されている。

ひとつは【Dominant】通称Domと略され、文字通り支配的な欲を持つ性。
ふたつめは【Submissive】通称Subと略され、従属する欲を持つ性。
その両方の特性をあわせもち、対面する相手によって切り替えが可能な【Switch】。
そして、いまだどちらも持たない7割ほどの大多数が【Neutral】と称されている。

支配と従属という欲の現れ方からSM的な性癖と勘違いされがちだが、ダイナミクスは生まれ持つ遺伝子由来の特性。Domの脳内に存在するGlare発生器官と、それを受け取るSub側に備わった受容体レセプター。これらが互いに発生させる脳波によって生じる生体反応だ。

ゆえに支配といっても、独占、嗜虐、庇護など、当人の生まれ育ちや感性によって現れ方はさまざまで、裕司の場合はどうやら「癒したい」「構いたい」という欲が強いらしい。
幼い時から周囲の子供たちの世話を焼くことが好きで、第二次性徴が始まる中学時代にダイナミクスが発現した頃には、すでに癒し系だという評判が定着していた。

やがてSSランクのDomだという噂が周囲に広がり、養護教諭や教頭、校長、実家が経営する企業の社員、果ては近隣の病院や開業医たちからまで「この子を助けてやってくれ」と出張を頼まれるようになったのには、もはや笑うしかなかったが。

物思いに耽るうちに、疲れきった少年が意識を朦朧とさせていた。
これ以上の迷惑を掛けてはならないと思ったのか「もう大丈夫」と呟いて起き上がろうとしたのを身振りで止める。
再び視線を合わせて優しく髪を梳りながら、裕司は小さく囁きかけた。

「ちゃんと送ってあげるから。《眠ってSleep》。安心しておやすみ」

すぐにトロンとしたまま目を閉じた幼げな顔が、記憶に残る最後の表情だ。


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